1999年9月19日
「入力中の作品」と名付けたリストがある。
青空文庫では今、どんな作品の電子化が進んでいるか。入力中か、入れ終わったのか、校正中かといった作業の流れを示すためのものだ。
これを見て欲しい。
入力が終わった段階で、次のステップに移れないでいる「校正待ち」が、ずらりと並んでいるのがわかるだろう。

みずたまりと呼んでいる掲示板に、9月14日付けで「校正待ちって」と題した書き込みがあった。
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校正待ちっていつまで待てばいいんでしょうか。
結構待たされてると思うんですが。
なんか、丸一日とか費やして打ったものを、
全然必要とされてないみたいで空しいですね。
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この書き込みに、連続してコメントが付いた。
「入力に比べ、校正を担当する工作員が少ないのだろう」という、事実の指摘があった。
全体の状況を見て、「自分は次の入力を控え、校正に回っている」という声があがった。作業の割り振りに当たっている私たちからすれば、頭を下げたくなるようなコメントだ。
この問題を巡る論議の空気を整えてくれたのは、丹羽倫子さんの「焦りは禁物」と題した書き込みだったように思う。
待たされる入力者の気持ちは分かる。けれど校正員として関わっている自分は、この活動に長くたずさわりたいと思うがゆえに、できるペースで、無理のない範囲で、の鉄則を固持しながら参加している。
そうしたあり方は、青空文庫全体の運営方針にも当てはまるのではないか。

「皆ができる範囲で協力し合う、というボランティアの原点を忘れずにいきたい」この丹羽さんの思いは、青空文庫を始めて以来、常に私の心の片側を占めてきたものだ。
工作員として、丹羽さんがそうおっしゃってくださることに、私は深く感謝し、共感する。
だが、心のもう一方で、私はこれまで何度か、異なった調子の声をあげてきた。
自分の役割のようなつもりでいた体制の整備に当たる際は、「ボランティアの原点」からは少し外れた、もう一つの目的意識に引きずられて動いてきたように思う。

事実を事実として申し上げれば、この「もう一つ」が存在しなければ、少なくとも今皆さんが見ておられるような形では、青空文庫は存在していない。

【ボランティアとNPOの狭間で】

およそ2年前に青空文庫の看板を掲げた時点で、私たちには、実現したい明確な目標があった。
私たちが欲しかったのは、無料で、誰もが利用できる電子図書館だ。
これを、営利を主要な動機とする企業が作れるとは、思わなかった。
だから、営利を目指さない自分たちのようなグループがまず始めることが、適当だろうと考えた。
短期的にも、将来にわたっても金銭的な見返りを想定しないところで、私たちが出せるものは、自分の働きと少々の金銭だった。
だから必要な作業には分担してあたり、必要な金は、かけようと思った者が出した。

「無料公開の電子図書館といった活動は、本来は国や地方自治体の金で、つまり私たちの一人一人が税金という形で薄く広く負担を分け合って進めるべきではないか」
青空文庫を始めたころには、そんな思いもあった。
公共図書館を担う人たちが本格的に取り組むまでの、先駆的なモデルとして機能すればいい。いずれ本番が始まれば、作りためたファイルを引き渡し、青空文庫は消えてもかまわない。むしろそうなることが、自然で健全ではないかと考えた。

だが、「公へのつなぎ」といった意識は、やがて消えた。
大規模な予算を投入して進められる、公的な電子図書館計画の惨状を知ったからだ。
繰り返せば長くなる。かつて書いたレポートへのリンクを張っておくので、参照して欲しい。

古い革袋の守護者に、新しい酒作りを求めることなど不可能と考え始めた時期は、もう一方から、青空文庫の役割を見直さざるを得なくなる過程と重なり合っていた。

私たちは当初、4人からスタートした呼びかけ人の力で作業を進めるつもりだった。
だが、「青空文庫の提案」で作業への協力を呼びかけておくと、力を貸そうといってくれる人が現れた。
個別の問い合わせにそのつど答えていたのでは、とても対応しきれないことに気付き、「工作員マニュアル」を整備し、続いて「入力中の作品」リストなどを整えた。
問い合わせに対応する際の負担を、これでずいぶん軽減できたと思う。
だが、工作員として力をふるおうと言ってくれる人の増えていく勢いは、関係文書の整備で吸収できる規模をはるかに越えていた。
1998年の春になると、自分たちの自由になる時間を使った対応では、どんなに頑張ってみても、追いつかなくなってきた。
校正できない作品、ファイルに整えられないテキストは、そのころすでに、たまりはじめていた。

その時点で、呼びかけ人には二つの選択肢があった。
限られた自由時間で対応せざるを得ないことをはっきり示し、校正やファイルへの整形を待つものがたまったとしても、その点は基本的には我慢してもらう。
作業の進行がバランスを欠いていることをせいいっぱい訴え、手薄な作業にあたってくれる人を募って、できる範囲で補いをつける。
それでも対応できないものは、自分たちも悩まないよう努力する。
本来その時点で私たちがとりうる選択肢は、それしかなかったというのが正確だったのかも知れない。

ところが、工作員への対応やファイル作成に中心的に当たっていた仲間の一人が、強引にもう一つの可能性を開いた。
「会社を辞めて、青空文庫の作業に専念する」と宣言したのだ。
当時の私たちには、活動資金を得る見通しはゼロだった。
無謀に思えた決断は阻止したかったが、彼の決心は固かった。

「貯金で食いつなぐ。それがなくなれば、青空文庫の仕事を中心に置いて、できる範囲のアルバイトでもなんでやっていく」
そんな言いぐさには腹が立ったが、文庫の背を押しはじめた勢いを、何とか伸ばせないかという思いは私にもあった。
存在しなかった電子図書館を作ろう。自分たちの手で、共有できる電子テキストを残していこうと志す人が、ここに集まりはじめている。
ならば、「自分ができる範囲で」という出発点から、少なくとも呼びかけ人だけは一歩踏みだし、運動全体のかなめとなる部分に関しては、「必要な体制」を作るべく試みるべきではないか。
胸の奥に育っていたそんな思いが、強引に仲間があけた穴から、吹き出した。
「貯金で食いつなぐ」といった方針が、数か月しかもたないのは明らかだ。ならば、彼の決断を支える活動資金を得るしかない、と考えた。

「必要な体制」作りの原資を与えてくれたのは、トヨタ財団だった。
呼びかけ人を中心にグループを組み、「インターネット電子図書館システムの提案」と名付けた研究計画を立てて助成を申し入れると、1998年11月から2年間に480万円を付けてくれた。
計画の柱として想定した要素は、二つだ。
まず第一に、作品の電子化と公開という青空文庫本来の活動を、活発に進めていくこと。実際の運用に際しては、活動に専念したいとする仲間に専従費を払い、彼の力を文庫の作業に全面的にあててもらう。そうすることで、ファイルの流れを改善し、どんどん作品を公開していく。
加えて、作業の中で浮かび上がってくる、現在のJIS漢字コードでは表せないもののリスト化を、第二の柱として掲げた。たくさんの日本人が実際に読んできた文章の、どこにあるどの字が、現行の漢字コードにないのかを示せば、予定されているJISの拡張計画に資することができるというシナリオだ。

応募者の大半が大学の研究者で、部門の採択率はわずか8パーセント弱という状況の中で、何の肩書きもない我々の計画を、選定にあたられた諸先生はよくぞ拾ってくれたと思う。
この資金を得て、わずかな金額ではあるが、私たちは仲間の一人を専従者として遇することができるようになった。
彼の獅子奮迅の働きを得て、加えて工作員の意欲に応えようとする残りの呼びかけ人の努力も加わって、青空文庫の作業ペースは速まった。
「これ」と思う作家のものを、目を丸くするほどのペースで入れてくれる人が次々に現れ、文庫の棚が目に見えて育ちはじめた。
利用者が増え、その中から確実に新しい協力者が名乗りを上げた。
結果的に、私たちがさばくべきファイルの量は、ますます増えることになった。

【この夏の危機】

トヨタ財団の資金は、青空文庫にとって干天の慈雨だった。
だが研究計画を遂行するためにこそ与えられた資金は、これまで存在しなかった新しい仕事に、呼びかけ人の力のかなりを吸い取った。
2年をかけて進めるとした計画だが、JIS漢字コード拡張のための基礎資料を提供するという役割は、改訂の進捗状況に合わせて果たさなければ意味がない。
財団からの支援が決まって間もなく、第3、第4水準の原案にどんな漢字を加えて欲しいか、意見を提出する期限が明らかになった。
締め切りは、翌1999年の2月末日だ。時間がなかった。
そこから私自身は、「文学作品に現れた外字」としてまとめる資料の作成に、実感としては文字通り、全力で取り組んだ。

文庫の活動の延長上に新しい役割を見つけ、それを引き受けることで運営資金を得ようとする姿勢は、誤っていなかったと思う。
だがこのケースに限って言えば、そのための作業がどれほどのものになるか、想定が甘かった。
作品を電子化して公開するという、青空文庫本来の活動に対して、何らかの支援を獲得せざるを得ない。その資金で、かなめの機能を強化するしかないと、あらためて痛感した。
そうできないのなら、もう一度1998年の春のフェーズにもどり、「私たちはこれ以上ペースをあげられない」と宣言するしかないだろう。

だが、外字リストにひとまず片を付けた時期、文庫の勢いはさらに加速していくように見えた。
アクセスが増え、当時間借りしていたボイジャーのサーバーでは対応できなくなった。
ふえはじめた文庫のファイルを、さまざまに活用したという声があがった。
この勢いを、やはり削ぐべきではないと考え、何度か助成の申請を繰り返し、援助団体をたずねた。
だが、いずれも実を結ばず、この夏を迎えた。

その過程では、我々にとってきわめて大きな規模の支援を得られる、一歩手前まで行ったことがある。
事業計画を立て、せいいっぱい説得力を持たせようと申請書を練り上げ、自分を鼓舞してプレゼンテーションに臨み、引き寄せた可能性だ。最後の最後で、落選と決まったときには意気が萎えた。
だがその時同時に、私はどこかで安堵するような気分を味わった。
すでにずいぶん長くなったこのコメントは、その時の気持ちを率直に皆さんに示したいと思って書き始めたものだ。

支援を求めて動く中で、喉に刺さった小骨のように気になり続けていたのは、青空文庫の活動に金銭を持ち込むことへのためらいだった。
ネットワークを介した連携で、やれることがある。そのもう一方で、メールでのやりとりでは進めにくいことが確実に存在する。
多岐に渡る作業の流れをおさえながら仕事を割り振ったり、ウェッブページの管理にあたったりといった作業は、分担がむずかしい。複数で取り組むなら、本来は事務所を確保して、顔を見合わせながら進めるべきことのように思う。
しばらくの経験でその点は明らかだったからこそ、仲間の一人を専従として遇し、かなめに座ってもらうことは必要だと踏ん切れた。
だが、私自身はその後、金をもらう人ともらわない人が似通った仕事を長期間並行して進めることのやっかいさを、何度か痛感させられた。
精神的な負担は、もらう側、もらわない側の双方に蓄積していくように思えた。

事務局の機能を強化し、対価を支払って進める作業を組み込むことで、青空文庫をよりいっそう充実させる可能性は、間違いなく存在する。
だがそのもう一方で、全ての工作員がボランティアで進めてきた文庫の活動に、より多くの専従者を組み込み、一部の仕事を有償で進めるよう梶を切ることが受け入れられるものなのか、私には確信が持てなかった。
有給スタッフと無給スタッフの共働が、すべての工作員を巻き込んで進みはじめたとき、何人の協力者が残ってくれるものか、先が読めなかった。

そうした不安と、体制の強化はそれでも不可避ではないかという二つの思いを抱えながら、私はこの夏を迎えた。
ここで、専従の任にあたってくれていた仲間が、大きく体調を崩した。
事情を聞くと、青空文庫の現在の仕組みが精神的な疲れを累積させ、体調不良の大きな要因となったのではないかと疑わざるを得なかった。

〈青空の本〉を耕したいと願う心は、私たちの原点だ。
そう考えてくれた工作員は、青空文庫の力の源泉だ。
だが、工作員の働きを作品登録に結びつけていくまでには、呼びかけ人の側になすべきことがある。
底本の選択は、基本的に入力してくれる人に任せている。
送られてきたファイルを校正に回す際は、同じ底本を探し、コピーをとり、プリントアウトして作ったゲラを添えて送付する。
ゲラが戻ってくれば、赤字を引き写してから、ファイルの整形にかかる。
何度か文庫の作業を体験した工作員の大半は、呼びかけ人側の負担を抑えようと、細かな配慮をしてくれる。
だが、文庫への注目が集まって新しい人が名乗りを上げてくれれば、気持ちと認識をすり合わせる工程が、そのつど必要になる。

入力した人は当然、できるだけ早く自分の入れた作品がアップされることを望む。
「いつ頃校正にかかれそうか。いつになったら登録されるのか」とたずねられれば、まず「申し訳ない」と謝り、校正にあたってくれている人に進行状況をたずねる。その際も、はじめに口をついて出るのは、「申し訳ない」の一言だ。
さらにファイルが校正待ちにとどまっていれば、誰かに進行状況をたずねることもできない。
答えに窮し、胃袋の底に鬱屈をためることになる。
こうした状況が、半年、1年と続くと、私たちは作業に協力を申し入れてくれる仲間を、仲間として迎え入れられなくなるのではないか。
大黒柱として働いてきてくれた仲間の苦しみを見て、私はそう恐れるようになった。

かなめの重要性を認識しながら、「青空文庫の活動に金銭を持ち込むことの怖れ」を胸の奥に抱え、一歩踏み込んだ組織化、かなめの強化を、私は成し遂げることができなかった。
一身に役割を担ってくれた仲間の危機は、そのことの結果であるように思えた。

彼が倒れた時期は、雑誌の付録CD-ROMに青空文庫を収録する話が、財政支援に発展するタイミングと、ぴったり重なり合っていた。
継続的な交渉が必要になり、著作権の有効な作品を青空文庫本体のサーバーから外したり、著作権切れファイルの全てに注記事項を書き込んだりといった時間を食う作業を、短期間にやり遂げなければならなくなった。
そんな中で、くたびれた仲間がどれほどくたびれているか、素早く感じ取ることができなかった。工作員との対応に空白が生じたことを認識しながら、補ったり、代替したりするための有効な手だてがうてなかった。

考え、道を選び、対処せよと全ての条件が求めているように感じた。
自分は青空文庫の活動を通じて何がやりたいのか、あらためてそこから考え直し、答えを出そうと思った。
その答えを、皆さんに示す。

私は、自分の生きる社会に、「無料公開の電子図書館」が存在して欲しいと思い、仲間と共に歩き始めた。
その目標に向かって、私たちがこれからも元気よく進み続けるためには、すべての人が無償で働くことが、欠かせない条件なのだろうか?
そうではないと、私は思う。

見返りがなくとも青空文庫のために働こうと思うのは、文庫が私にとって大切であるからだ。
自分たちの力で育むべき、新しい〈おおやけ〉としての価値を、この試みが備えていると確信するからだ。
お金がなくて、誰もが対価を得ていないから、我慢してきたわけではない。
私は青空文庫に、おおやけの価値を認める。
文庫への関与は、自分にとって、そのことの証だ。

私たちはアスキーから得る資金を、かなめの機能の強化にあてようと考えている。
専従者を増やす方向で、今後、検討を進めたい。
力を持った方に、校正作業の一部を委ねようとも思っている。拡張JIS漢字コードに対応した〈定本〉的なファイル作りを念頭に置いているが、校正待ちへの対処も排除しようとは考えていない。

有給と無給のスタッフが共働することの心理的な葛藤が、これから文庫に関わる全ての人の胸に生じるだろう。
私自身、およそ1年にわたって、回答をためらい続けてきた問いだ。
皆さんの心に、重い荷をお預けすることになるだろう。
なぜ、自分は青空文庫に関わっているのか。
そのことを問い直す中から、皆さんのお一人お一人に、今後の協力の如何に関して、答えを出していただきたい。(倫)

この一文は、当初、青空文庫の活動報告欄「そらもよう」への掲載を想定して、富田倫生がまとめたものです。
これを載せることに、呼びかけ人の同意が得られなかったので、個人的なコメントとしてここに置くことにしました。
1999年9月21日
富田倫生