源氏物語

與謝野晶子訳



螢(ほたる)



身にしみて物を思へと夏の夜の螢(ほたる)ほのかに青引きてとぶ   晶子

 源氏の現在の地位はきわめて重いがもう廷臣(ていしん)としての繁忙もここまではおし寄せてこず、のどかな余裕のある生活ができるのであったから、源氏を信頼してきた恋人たちにもそれぞれ安定を与えることができた。しかも対(たい)の姫君だけは予期せぬ煩悶(はんもん)をする身になっていた。大夫(たゆう)の監(げん)の恐ろしい懸想(けそう)とはいっしょにならぬにもせよ、だれも想像することのない苦しみが加えられているのであったから、源氏にもつ反感は大きかった。母君さえ死んでいなかったならと、またこの悲しみをあらたにすることになったのであった。源氏もうちあけてからはいっそう恋しさに苦しんでいるのであるが、人目をはばかってまたこのことには触れない。ただ堪えがたい心だけを慰めるためによく出かけて来たが、玉鬘(たまかずら)のそばに女房などのあまりいないときにだけは、はっと思わせられるようなことも源氏はいった。あらわに退けていうこともできないことであったから、玉鬘はただ気のつかぬふうをするだけであった。人がらが明るい朗らかな玉鬘であったから、自分自身ではまじめ一方な気なのであるが、それでもこぼれるような愛嬌(あいきょう)が何にも出てくるのを、兵部卿(ひょうぶきょう)の宮などはお知りになって、夢中なほどに恋をしておいでになった。まだたいして長い年月がたったわけではないが、確答も得ないうちに不結婚月の五月にさえなったと恨んでおいでになって、
[#ここより引用文、本文より1字下げ]
ただもうすこし近くへうかがうことをおゆるしくだすったら、その機会に私の思い悩んでいる心を直接おもらしして、それによってせめて慰みたいと思います。
[#引用文ここまで]
 こんなことをお書きになった手紙を源氏は読んで、
「そうすればいいでしょう。宮のような風流男のする恋は、近づかせてみるだけの価値はあるでしょう。絶対にいけないなどとはいわない方がよい。お返事を時々おあげなさいよ」
と源氏はいって、文章をこう書けとも教えるのであったが、何重にもかさなる不快というようなものを感じて、気分が悪いから書かれないと玉鬘はいった。こちらの女房には貴族出の優秀なような者もあまりないのである。ただ母君の叔父の宰相(さいしょう)の役をつとめていた人の娘で怜利(れいり)な女が不幸な境遇にいたのを探し出して迎えた宰相の君というのは、字などもきれいに書き、おちついた後見役もつとめられる人であったから、玉鬘が時々やむをえぬ男の手紙に返しをする代筆をさせていた。その人を源氏は呼んで、口授して宮へのお返事を書かせた。聞いていて玉鬘がなんというかを源氏は聞きたかったのである。姫君は源氏に恋をささやかれたときから、兵部卿の宮などの情をこめてお送りになる手紙などを、すこし興味をもってながめることがあった。心がその方へ動いていくというのではなしに、源氏の恋からのがれるためには、兵部卿の宮に好意をもつふうを装うのも一つの方法であると思うのである。この人にも技巧的な考えが出るものである。
 源氏自身がおもしろがって宮をお呼び寄せしようとしているとは知らずに、思いがけず訪問をゆるすという返事をお得になった宮は、お喜びになって目立たぬふうでたずねておいでになった。妻戸の室に敷物を設けて几帳(きちょう)だけの隔(へだ)てで会話がなさるべくできていた。心憎いほどの空薫(そらだ)きをさせたり、姫君の座をつくろったりする源氏は、親でなく、よこしまな恋をもつ男であって、しかも玉鬘の心にとっては同情される点のある人であった。宰相の君なども会話のとりつぎをするのが晴れがましくてできそうな気もせず隠れているのを源氏は無言で引き出したりした。
 夕闇(ゆうやみ)時が過ぎて、暗く曇った空をうしろにして、しめやかな感じのする風采(ふうさい)の宮が、すわっておいでになるのも艶(えん)であった。奥の室から吹き通う薫香(たきもの)の香に源氏の衣服から散る香もまじって、宮のおいでになるあたりは匂いに満ちていた。予期した以上の高華な趣きの添った女性らしく、まず宮はお思いになったのであった。宮のお語りになることは、じみなおちついたご希望であって、情熱ばかりを見せようとあそばすものでもないのが優美に感ぜられた。源氏は興味をもってこちらで聞いているのである。姫君は東の室に引き込んで横になっていたが、宰相の君が宮のお言葉をもってその方へはいって行くときに源氏はことづてた。
「あまりに重苦しい仕方です。すべて相手しだいで態度を変えることが必要で、そして無難です。少女らしくはずかしがっている年齢(とし)でもない。この宮さんなどに人づてのお話などをなさるべきでない。声はお惜しみになっても、すこしは近いところへ出ていないではいけませんよ」
などという忠告である。玉鬘は困っていた。なおこうしていれば、その用があるふうをしてそばへ寄って来ないとは保証されない源氏であったから、複雑なわびしさを感じながら玉鬘はそこを出て中央の室の几帳のところへ、寄りかかるような形で身を横たえた。宮の長いお言葉に対して返辞がしにくい気がして玉鬘が躊躇(ちゅうちょ)しているとき、源氏はそばへ来て薄物の几帳の垂れを一枚だけ上へあげたかと思うと、蝋(ろう)の燭(ひ)をだれかがさし出したかと思うような光があたりを照した。玉鬘は驚いていた。夕方から用意して螢(ほたる)を薄様(うすよう)の紙へたくさん包ませておいて、今まで隠していたのを、さりげなしに几帳を引きつくろうふうをしてにわかに袖から出したのである。たちまちに異常な光がかたわらにわいた驚きに、扇で顔を隠す玉鬘の姿が美しかった。強い明りがさしたならば宮も中をおのぞきになるであろう、ただ自分の娘であるから美貌であろうと想像をしておいでになるだけで、実質のこれほどすぐれた人とも認識しておいでにならないであろう。好色なお心をやるせないなものにして見せようと源氏が計ったことである。実子の姫君であったなら、こんなもの狂おしい計らいはしないであろうと思われる。源氏は、そっとそのまま外の戸口から出て帰ってしまった。宮は最初姫君のいるところはその辺であろうと見当をおつけになったのが、予期したよりも近いところであったから、興奮をあそばしながら薄物の几帳のあいだから中をのぞいておいでになったときに、一室ほど離れたところに思いがけない光がわいたので、おもしろくお思いになった。まもなく明りは薄れてしまったが、しかも瞬間のほのかな光は恋の遊戯にふさわしい効果があった。かすかによりは見えなかったが、やや大柄(おおがら)な姫君の美しかった姿に宮のお心はじゅうぶんにひかれて、源氏の策は成功したわけである。
 「鳴く声も聞えぬ虫の思ひだに
    人の消(け)つには消ゆるものかは
 ご実験なすったでしょう」
と宮はおいいになった。こんな場合の返歌を長く考えこんでからするのは、感じのよいものではないと思って、玉鬘はすぐに、
  声はせで身をのみこがす螢こそ
    言ふより勝(まさ)る思ひなるらめ
とはかないふうにいっただけで、また奥の方へはいってしまった。宮は疎々(うとうと)しい待遇を受けるというような恨みを述べておいでになった。あまり好色らしく思わせたくないと、宮は朝まではおいでにならずに、軒の雫(しずく)のつめたくかかるのにぬれて、暗いうちにお帰りになった。杜鵑(ほととぎす)などはきっと鳴いたであろうと思われる。筆者はそこまで穿鑿(せんさく)はしなかった。
 宮のご風采の艶なところが源氏によく似ておいでになるといって、女房たちはほめていた。昨夜の源氏が、母親のようなゆきとどいた世話をした点で、玉鬘の苦悶などは知らぬ女房たちが感激していた。玉鬘は源氏にもたれる恋心を、自身の薄幸のあらわれであると思った。実の父に娘を認められたうえでは、これほどの熱情をもつ源氏を良人(おっと)にすることが似合わしくないことでないかもしれぬ、現在では父になり娘になっているのであるから、両者の恋愛がどれほど世間の問題にされることであろう、と玉鬘は心を苦しめているのである。しかし真実は源氏もそんな醜(みにく)い関係にまで進ませようとは思っていなかった。ただ恋を覚えやすい性格であったから、中宮などに対しても清い父親としてだけの愛以上のものをいだいていないのではない。何かの機会にはお心を動かそうとしながらも、高貴なご身分にはばかられて、あらわな恋ができないだけである。玉鬘は性格にも親しみやすい点があって、はなやかな気分のあふれ出るようなのを見ると、おさえている心がおどり出して、人が見れば怪しく思うほどのこともまじっていくのであるが、さすがに反省をして、美しい愛だけでこの人を思おうとしていた。
 五日には馬場殿へ出るついでにまた玉鬘を源氏はたずねた。
「どうでしたか。宮はずっとおそくまでおいでになりましたか。際限なく宮を接近おさせしないようにしましょう。危険性のある方だからね。力で恋人を征服しようとしない人はすくないからね」
などと宮のことも活(い)かせも殺しもしながら訓戒めいたことをいっている源氏は、いつもそうであるが、若々しく美しかった。色も光沢(こうたく)もきれいな服の上に薄物の直衣(のうし)をありなしに重ねているのなども、源氏が着ていると人間の手で染織されたものとは見えない。もの思いがなかったら、源氏の美は目を喜ばせることであろうと玉鬘は思った。兵部卿の宮からお手紙がきた。白い薄様によい字が書いてある。見て美しいが筆者が書いてしまえばただそれだけになることである。
  今日さへや引く人もなき水隠(みがく)れに
    生(お)ふるあやめのねのみ泣かれん
 長さが記録になるほどの菖蒲(しょうぶ)の根に結びつけられてきたのである。
「ぜひ今日はお返事をなさい」
などとすすめておいて源氏は行ってしまった。女房たちもぜひというので、玉鬘自身もどういうわけもなく書く気になっていた。
  あらはれていとど浅くも見ゆるかな
    あやめもわかず泣かれけるねの
 少女らしく。
とだけほのかに書かれたらしい。字にもうすこし重厚な気が添えたいと、芸術家的な好みをもっておいでになる宮はお思いになったようであった。
 今日は美しく作った薬玉(くすだま)などが諸方面から贈られてくる。不幸だったころと今とが、こんなことにも比較されて考えられる玉鬘は、このうえできるならば世間の悪名を負わずにすませたいと道理なことを願っていた。
 源氏は花散里夫人のところへも寄った。
「中将が左近衛府(さこんのえふ)の勝負のあとで役所の者をみなつれて来るといってましたから、その用意をしておくのですね。まだ明るいうちに来るでしょう。私はなにも麗々しく扱おうと思っていなかった姫君のことを、若い親王方などもお聞きになって手紙などをよくよこしておいでになるのだから、今日はいい機会のように思って、東の御殿へ何人も出ておいでになることになるでしょうから、そんなつもりで仕度(したく)をさせてください」
などと夫人にいっていた。馬場殿はこちらの廊下からながめるのに遠くはなかった。
「若い人たちは渡殿の戸をあけて見物するがよい。このごろの左近衛府にはりっぱな下士官がいて、ちょっとした殿上役人などは及ばない者がいますよ」
と源氏がいうのを聞いていて、女房たちは今日の競技を見物のできることを喜んだ。玉鬘の方からも童女などが見物に来ていて、廊の戸に御簾(みす)が青やかにかけ渡され、はなやかな紫ぼかしの几帳がずっと立てられたところを、童女や下(しも)仕えの女房が往(ゆ)き来していた。菖蒲重(しょうぶがさ)ねの衵(あこめ)、薄藍(うすあい)色の上着を着たのが西の対の童女であった。上品にもの慣れたのが、四人来ていた。下仕えは樗(おうち)の花の色のぼかしの裳(も)に撫子(なでしこ)色の服、若葉色の唐衣(からぎぬ)などを装うていた。こちらの童女は、濃紫(こむらさき)に撫子重ねの汗衫(かざみ)などでおおような好みである。双方とも相手に譲るものでないというふうに気どっているのがおもしろく見えた。若い殿上役人などは、見物席の方に心のひかれるふうを見せていた。午後二時に源氏は馬場殿へ出たのである。予想したとおりに親王方もおおぜい来ておいでになった。左右の組合せなどに宮中の定例(じょうれい)の競技と違って、中少将がみなはいって、こうした私の催しにかえって興味のあるものが見られるのであった。女にはどうして勝負が決るのかも知らぬことであったが、舎人(とねり)までが艶な装束をして一所懸命に競技に走りまわるのを見るのはおもしろかった。南御殿の横まで端(はし)はおよんでいたから、紫夫人の方でも若い女房などは見物していた。「打毬楽(だきゅうらく)」「納蘇利(なそり)」などの奏楽があるうえに、右も左も勝つたびに歓呼にかえて楽声をあげた。夜になって終るころには、もう何もよく見えなかった。左近衛府の舎人(とねり)たちへは、等差をつけていろいろな纏頭(てんとう)が出された。ずっと深更になってから来賓(らいひん)は退散したのである。源氏は花散里(はなちるさと)の方に泊るのであった。いろいろな話が夫人とかわされた。
「兵部卿の宮はだれよりもごりっぱなようだ。ご容貌などはよろしくないが、身のとりなしなどに高雅さと愛嬌のある方だ。そのほかはよいといわれている人たちにも欠点がいろいろある」
「あなたの弟様でもあの方(かた)の方が、老(ふ)けてお見えになりますね。こちらへ古くからよくおいでになると聞いていましたが、私はずっと昔に御所ですき見をしてお知り申しあげているだけですから、今日お顔を見て、そのころよりきれいにおなりになったと思いました。帥(そち)の宮様はお美しいようでも品がおよろしくなくて、王様というくらいにしかお見えになりませんでした」
 この批評のあたっていることを源氏は思ったが、ただほほえんでいただけであった。花散里夫人の批評は他の人たちにも及んだのであるが、よいとも悪いとも自身の意見を源氏は加えようとしないのである。難をつけられる人とか、悪く見られている人とかに同情する癖(くせ)があったから。右大将のことを深みのあるような人であると夫人がいうのを聞いても、たいしたことがあるものでない、婿(むこ)などにしては満足していられないであろうと源氏は否定したく思ったが、表へその心もちをあらわそうとしなかった。むつまじくしながら夫人と源氏は別々な寝床に眠るのであった。いつからこうなってしまったのかと源氏は苦しい気がした。平生花散里夫人は、源氏に無視されていると腹を立てるようなこともないが、六条院にはなやかな催しがあっても、人づてに話を聞くぐらいですんでいるのを、今日は自身のところで会があったことで、ひじょうな光栄にあったように思っているのであった。
  その駒(こま)もすさめぬものと名に立てる
    汀(みぎわ)の菖蒲(あやめ)今日や引きつる
とおおように夫人はいった。なんでもない歌であるが、源氏は身にしむ気がした。
  にほ鳥に影を並ぶる若駒は
    いつか菖蒲に引き別るべき
と源氏はいった。意はそれでよいが夫人の謙遜をそのまま肯定した言葉はすこし気の毒である。
「二六時中あなたといっしょにいるのではないが、こうして信頼をし合って暮らすのはいいことですね」
 戯(たわむ)れをいうのでも、この人に対してはまじめな調子にされてしまう源氏であった。帳台の中の床を源氏にゆずって、夫人は几帳を隔てたところで寝た。夫婦としての交渉などはもはや不似合いになったとしている人であったから、源氏もしいてその心を破ることをしなかった。
 梅雨(つゆ)が例年よりも長くつづいて、いつ晴れるとも思われないころの退屈さに、六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。明石(あかし)夫人はそんな方の才もあったから、写しあげた草紙(そうし)などを姫君へ贈った。若い玉鬘はまして興味を小説にもって、毎日写しもし、読みもすることに時を費(ついや)していた。こうしたことの相手をつとめるのに適した若い女房が何人もいるのであった。数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、事実かどうかは別として、自身の体験したほどの変ったことに会っている人はないと玉鬘は思った。住吉の姫君がまだ運命に恵まれていたころはいうまでもないが、のちにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、いま一歩で卑(いや)しい主計頭(かずえのかみ)の妻にされてしまうところなどを読んでは、恐ろしかった監(げん)のことが思われた。源氏はどこの御殿にも、ちかごろは小説類が引き散らされているのを見て、玉鬘にいった。
「いやなことですね。女というものはうるさがらずに人からだまされるために生れたものなんですね。ほんとうの語られているところはすこししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられるばかりに、この暑い五月雨(さみだれ)の日に髪の乱れるのも知らずに書き写しをするのですね」
 笑いながらまた、
「けれども、そうした昔の話を読んだりすることがなければ、退屈はまぎれないだろうね。この嘘(うそ)ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。可憐な姫君がもの思いをしているところなどを読むと、ちょっと身にしむ気もするものですよ。また不自然な誇張がしてあると思いながらつりこまれてしまうこともあるし、またまずい文章だと思いながら、おもしろさがある個所にあることを否定できないようなのもあるようですね。このごろ、あちらの子どもが女房などに時々読ませているのを横で聞いていると、多弁な人間があるものだ。嘘をじょうずにいい慣れた者が作るのだという気がしますが、そうじゃありませんか」
というと、
「そうでございますね。嘘をいい慣れた人がいろんな想像をして書くものでございましょうが、けれど、どうしてもほんとうとしか思われないのでございすよ」
 こういいながら玉鬘は硯を前へおしやった。
「無風流に小説の悪口をいってしまいましたね。神代以来この世であったことが、日本紀などはその一部分にすぎなくて、小説の方に正確な歴史が残っているのでしょう」
と源氏はいうのであった。
「だれの伝記とあらわにいってなくても、善いこと、悪いことを目撃した人が、見ても見あかぬ美しいことや、一人が聞いているだけでは憎みたりないことを後世に伝えたいと、ある場合場合のことを一人でだけ思っておられなくなって、小説というものが書きはじめられたのだろう。よいことをいおうとすれば、あくまで誇張してよいことずくめのことを書くし、また一方を引き立てるためには一方のことを極端に悪いことずくめに書く。全然架空のことではなくて、人間のだれにもある美点と欠点が盛られているものが小説であると見ればよいかもしれない。支那(しな)の文学者が書いたものはまた違うし、日本のも昔できたものとちかごろの小説とは相違していることがあるでしょう。深さ浅さはあるだろうが、それをみな、嘘であると断言することはできない。仏が正しい御心(みこころ)で説(と)いておおきになった経の中にも、方便ということがあって、大悟しない人間はそれを見ると疑問が生じるだろうと思われる。方等経(ほうどうきょう)の中などには、ことに方便が多く用いられてます。けっきょくはみな同じことになって、菩提(ぼだい)心はよくて、頭脳は悪いということがいわれてあるのです。つまり小説の中に善悪を書いてあるのがそれにあたるのですよ。だから好意的にいえば、小説だってなんだってみなけっこうなものだということになる」
と源氏はいって、小説が世の中に存在するのをゆるしたわけである。
「それにしてもね、古いことの書いてある小説の中に、私ほどまじめな愚直すぎる男の書いてあるものがありますか。それからまた人間離れのしたような小説の姫君だってあなたのように恋する男へ冷淡で、知って知らぬ顔をするようなのはないでしょう。だから、ありふれた小説の型を破った小説にあなたと私のことをさせましょう」
 近々と寄って来て源氏は、玉鬘にこうささやくのであった。玉鬘は衿(えり)の中へ顔を引き入れるようにしていう。
「小説におさせにならないでも、こんな奇怪なことは話になって世間へひろまります」
「珍しいことだというのですか。そうです。私の心は珍しいことにときめく」
 ひたひたと寄り添ってこんな戯れを源氏はいうのである。
 「思ひ余り昔のあとを尋(たず)ぬれど
    親に背ける子ぞ類ひなき
 不幸は仏の道でも非常に悪いことにして説かれています」
と源氏がいっても、玉鬘は顔をあげようともしなかった。源氏は女の髪を撫(な)でながら恨み言をいった。やっと玉鬘は、
  古き跡を尋ぬれどげになかりけり
    この世にかかる親の心は
 こういった。源氏は気はずかしい気がしてそれ以上の手出しはできなかった。どうこの二人はなっていくのであろう。
 紫夫人も姫君に託してやはり物語を集める一人であった。『こま物語』の絵になっているのを手にとって、
「じょうずにできた絵だこと」
といいながら夫人は見ていた。小さい姫君が、無邪気なふうで昼寝をしているのが、昔の自分のような気がするのであった。
「こんな子どもどうしでも悪い関係がすぐにできるじゃありませんか、昔をいえば私などは模範にしてよいまれなもの堅さだった」
と源氏は夫人にいった。そのかわりにまれなことも好きであったはずである。
「姫君の前で、こうした男女関係の書かれた小説は読んで聞かせないようにする方がいい。恋をし始めた娘などというものが、悪いわけではないが、世間にはこんなことがあるのだと、それを普通のことのように思ってしまわれるのが危険ですからね」
 こんな周到な注意が実子の姫君にはらわれているのを、対(たい)の姫君が聞いたら恨むかもしれない。
「浅薄な、ある型を模倣したにすぎないような女は読んでいましてもいやになります。空穂物語(うつほものがたり)の藤原の君の姫君はおもおもしくて過失(あやまち)はしそうでない性格ですが、あまりまっすぐな線ばかりで、しまいまで女らしく書かれてないのが悪いと思うのですよ」
と夫人がいうと、
「現実の人でもそのとおりですよ。風変りな一本調子でおし通して、いいかげんに転向することを知らない人はかわいそうだ、見識のある親が熱心に育てた娘が、ただ子どもらしいところにだけだいじがられた跡が見えて、そのほかは何もできないようなのを見ては、どんな教育をしたのかと親までも軽蔑(けいべつ)されるのが気の毒ですよ。なんといってもあの親が育てたらしいよいところがある、と思われるような娘があれば親の名誉になるのです。作者のほめちぎってある女のすること、いうことの中に首肯されることのない小説はだめですよ。いったいつまらい人に自分の愛する人はほめさせたくない」
などといって、源氏は姫君を完全な女性にしあげることに一所懸命であった。継(まま)母が意地悪をする小説も多かったから、その反対な継母のよさを見せつける気がして、夫人はそんなものをいっさいはぶいて、選択に選択をしたよいものだけを姫君のために写させたり絵に描かせたりした。
 中将を源氏は夫人の住居へ接近させないようにしていたが、姫君のところへは出入りをゆるしてあった。自分が生きているあいだは異腹の兄弟でも同じであるが、死んでからのことを思うと早くから親しませておく方が双方に愛情のできることであると思って、姫君の方の南側の座敷の御簾の中へ来ることをゆるしたのであるが、台盤所(だいばんどころ)の女房たちの集っている方へはいることはゆるしていないのである。源氏のためにただ二人だけの子であったから兄妹を源氏はだいじにしていた。中将はおちついたおもおもしいところのある性質であったから、源氏は安心して姫君の介添役をさせた。幼い雛(ひな)遊びの場にもよく出会うことがあって、中将は恋人とともに遊んで暮した年月をそんなときにはよく思い出されるので、妹のためにもよい相手役になりながらも、時々はしおしおとした気もちになった。若い女性たちに恋の戯れをいいかけても、将来に希望をつながせるようなことは絶対にしなかった。妻の一人にしたいと心のひかれるような人も、しいて一時的の対象とみなして、それ以上関係を進行させることもなかった。今でも緑の袖とはずかしめられた人との関係だけを尊重して、その人以外の人を妻に擬(ぎ)して考えることは不可能であった。ゆるされようと熱心ぶりを見せれば伯父(おじ)の大臣も夫婦にしてくれるであろうが、恨めしかったころに、どんなことがあっても伯父(おじ)が哀願するのでなければ結婚はすまい、と思ったことが忘られなかった。雲井の雁(かり)のところへは情をこめた手紙を常に送っていても、表面はあくまでも冷静な態度を保っているのである。この態度をまた雲井の雁の兄弟たちは恨んでいた。
 玉鬘に右近中将は深く恋をして仲介役をするのは童女のみるこ[#「みるこ」に傍点]だけであったから、たよりなさにこの中将を味方にたのむのであった。
「人のことではそう熱心になれない問題だから」
などと左中将は冷淡にいっていた。
 内大臣は腹々(はらばら)に幾人もの子があって、おとなになったそれぞれの子息の人柄にしたがって、政権の行使が自由なこの人はみな適した地位につかせていた。女の子はすくなくて后(きさき)の競争に負け失意の人になっている女御と、恋の過失をしてしまった雲井の雁だけなのであったから、大臣は残念がっていた。この人は今も撫子(なでしこ)の歌を母親が詠(よ)んできた女の子を忘れなかった。かつて人にも話したほどであるから、どうしたであろう、たよりない性格の母親のために、あのかわゆかった人をゆくえ不明にさせてしまった、女というものはすこしも目が放されないものである。親の不名誉を思わずに卑しく零落(れいらく)をしながら自分の娘であるといっているのではなかろうか、それでもよいから出て来てほしいと大臣は恋しがっていた。息子たちにも、
「もしそういうことをいっている女があったら、気をつけて聞いておいてくれ。放縦(ほうしょう)な恋愛もずいぶんしていた中で、その母である人はただ軽々しく相手にしていた女でもなく、ほんとうに愛していた人なのだが、なんでもないことで悲観して、私にすくない女の子一人をどこにいるかも知れなくされてしまったのが残念でならない」
とよく話していた。中ほどには忘れていもしたのであるが、他人がすぐれたふうに娘をかしずくようすを見ると、自身の娘がどれも希望どおりにならなかったことで失望を感じることが多くなって、ちかごろは急に別れた女の子を思うようになったのである。ある夢を見たときに、じょうずな夢占いをする男を呼んで解かせてみると、
「長いあいだ忘れておいでになったお子さんで、人の子になっていらっしゃる方のお知らせをお受けになるというようなことはございませんか」
といった。
「男は養子になるが、女というものはそう人に養われるものではないのだが、どういうことになっているのだろう」
と、それから時々内大臣はこのことを家庭で話題にした。