源氏物語

與謝野晶子訳



紅葉賀(もみじのが)


                  
青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心は下に鳴れども
晶子

 朱雀院(すざくいん)の行幸は、十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏は、ことに選(よ)りすぐっておこなわれるという評判であったから、後宮(こうきゅう)の人々はそれが御所でなくて陪観(ばいかん)のできないことを残念がっていた。帝(みかど)も藤壺(ふじつぼ)の女御(にょご)にお見せになることのできないことを遺憾(いかん)に思召(おぼしめ)して、当日と同じことを試楽(しがく)として御前でやらせてごらんになった。
 源氏の中将は青海波(せいがいは)を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭(とうの)中将だった。人よりはすぐれた風采(ふうさい)のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣(とな)った深山(みやま)の木というよりいいかたがない。夕方前のさっと明るくなった日光(ひかげ)の下で、青海波は舞われたのである。地(じ)をする音楽もことにさえて聞えた。同じ舞ながらも面(おもて)づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞手が歌うところなどは、極楽(ごくらく)の迦陵頻伽(かりょうびんが)の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝はご落涙あそばされた。陪席(ばいせき)した高官たちも親王方も同様である。歌が終って袖(そで)が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起る楽音に舞手の頬(ほお)の色が染って常よりもまた光る君と見えた。東宮(とうぐう)の母君の女御は、舞手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。
「神様があの美貌(びぼう)に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」
 こんなことをいうのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。
 藤壺の宮は自分にやましい心がなかったら、まして美しく見える舞であろうと見ながらも、夢のような気があそばされた。その夜の宿直(とのい)の女御はこの宮であった。
「今日の試楽は青海波が王(おう)だったね。どう思いましたか」
 宮はお返辞がしにくくて、
「特別にけっこうでございました」
とだけ。
「もう一人の方も悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人はじょうずであっても、無邪気な艶(えん)な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日にみな見てしまっては、朱雀院の紅葉(もみじ)の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」
など仰せになった。
 翌朝、源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
 どうごらんくださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。
  物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の
    袖うち振りし心知りきや
 失礼をおゆるしください。
とあった。目もくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。
  から人の袖ふることは遠けれど
    起(た)ち居(い)につけて哀れとは見き
 一観衆として。
 たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとってはひじょうな幸福であった。支那(しな)における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もうじゅうぶんに后(きさき)らしい見識をそなえていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のようにひろげて見入っていた。
 行幸の日は、親王方も公卿(こうけい)もあるだけの人が帝の供奉(ぐぶ)をした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を漕(こ)ぎまわり、唐(とう)の曲も高麗(こうらい)の曲も舞われて盛んな宴賀(えんが)だった。試楽の日の源氏の舞姿のあまりに美しかったことが、魔障(ましょう)の耽美(たんび)心をそそりはしなかったかと帝はご心配になって、寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、ご親子の情はそうあることと思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりなご関心ぶりだとねたんでいた。楽人は、殿上(てんじょう)役人からも地下(じげ)からもすぐれた技量を認められている人たちだけが選(よ)り整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督(さえもんのかみ)、右衛門督が左右の楽を監督した。舞手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古(けいこ)の成果をここで見せたわけである。四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風は、ほんとうの深山(みやま)おろしのようであった。いろいろの秋の紅葉の散りかう中へ青海波の舞手が歩み出たときには、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。かざしにした紅葉が風のために葉数のすくなくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になってさっと時雨(しぐれ)がした。空もこの絶妙な舞手に心を動かされたように。
 美貌の源氏が、紫を染め出したころの白菊を冠(かむり)にさして、今日は試楽の日に越えてこまかな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終りにちょっと引きかえして来て舞うところなどでは、人がみな清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。ものの価値のわからぬ下人(げにん)で、木の蔭や岩の蔭、もしくは落葉の中に埋(うず)もれるようにして見ていた者さえも、すこし賢い者は涙をこぼしていた。承香殿(しょうきょうでん)の女御を母にした第四親王がまだ童形(どうぎょう)で秋風楽をお舞いになったのが、それにつづいての見ものだった。この二つがよかった。あとのは、もうなんの舞も人の興味をひかなかった。ない方がよかったかもしれない。今夜、源氏は従三位(じゅさんみ)から正三位(しょうさんみ)にあがった。頭中将は正四位下(しょうしいのげ)が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然、これも源氏の恩であることをみな知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生(ぜんしょう)ですばらしい善業があったのであろう。
 それがあってから、藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。会う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまりとわなかった。そのうえ、紫の姫君を迎えてからは、二条の院へあらたな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。真相を知らないのであるから恨んでいるのが道理(もっとも)であるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心もちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度(そんたく)をして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気(うわき)な心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない。それがわからないあいだはまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が、すこしのことで源氏から離れるような軽率(けいそつ)な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦として、その人を思う愛にはまた特別なものがあった。
 若紫は慣れていくにしたがって、性質のよさも容貌の美も源氏の心を多くひいた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人(なにびと)であるか知らすまいとして、今も初めの西の対(たい)を住居にさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身もしじゅうこちらに来ていて、若い女王を教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。事務の扱い所を作り、家司(けいし)も別に命じて貴族生活をするのになんの不足も感じさせなかった。しかも、惟光(これみつ)以外の者は西の対の主の何人(なにびと)であるかをいぶかしく思っていた。女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいるあいだはまぎれていたが、夜などまれにここで泊ることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、恋しがって泣いたりする折りがあるのを源氏はかわいく思っていた。二三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりするときは、若紫がまったく滅(め)入りこんでしまっているので、母親のない子をもっている気がして、恋人を見に行ってもおちつかぬ心になっているのである。僧都(そうず)はこうした報告を受けて、ふしぎに思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であったときも源氏は厚く布施(ふせ)を贈った。
 藤壺の宮の自邸である三条の宮へ、ようすを知りたさに源氏が行くと、王命婦(おうみょうぶ)、中納言の君、中務(なかつかさ)などという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが、自分をおさえながらただの話をしているときに兵部卿(ひょうぶきょう)の宮がおいでになった。源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そして艶(えん)な風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐な若紫の父君であることに、ことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりもうちとけて見える美しい源氏を、婿(むこ)であるなどとはお知りにならないで、この人を女にしてみたいなどと若々しく考えておいでになった。夜になると、兵部卿の宮は女御の宮のお座敷の方へはいっておしまいになった。源氏はうらやましくて、昔は陛下が愛子としてよく藤壺の御簾(みす)の中へ自分をお入れになり、今日のようにとりつぎが中に立つ話ではなしに、宮口ずからのお話がうかがえたものであると思うと、いまの宮が恨めしかった。
「たびたびうかがうはずですが、参ってもご用がないと自然なまけることになります。命じてくださることがありましたら、ご遠慮なくいっておつかわしくださいましたら満足です」
などと堅い挨拶(あいさつ)をして源氏は帰って行った。王命婦も策動のしようがなかった。宮のお気もちをそれとなく観察してみても、自分の運命の陥擠(かんさい)であるものはこの恋である。源氏を忘れないことは、自分を滅ぼす道であるということを過去よりもまた強く思っておいでになるごようすであったから手が出ないのである。はかない恋であると消極的に悲しむ人は藤壺の宮であって、積極的に思いつめている人は源氏の君であった。
 少納言は思いのほかの幸福が小女王の運命にあらわれてきたことを、死んだ尼君が絶え間(ま)ない祈願に愛孫のことをいって仏にすがったその効験(こうけん)であろうと思うのであったが、権力の強い左大臣家に第一の夫人があることであるし、そこかしこに愛人をもつ源氏であることを思うと、真実の結婚を見るころになってめんどうが多くなり、姫君に苦労がはじまるのではないかと恐れていた。しかし、これには特異性がある。少女の日にすでにこんなに愛している源氏であるから、将来もたのもしいわけであると見えた。母方の祖母の喪(も)は三カ月であったから、師走(しわす)の三十日に喪服を替(か)えさせた。母がわりをしていた祖母であったから、除喪ののちも派手(はで)にはせず濃くはない紅(べに)の色、紫、山吹のおちついた色などで、そして地質のきわめてよい織物の小袿(こうちぎ)を着た元日の紫の女王は、急に近代的な美人になったようである。源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、ちょっと西の対へ寄った。
「今日からは、もうおとなになりましたか」
と笑顔をして源氏はいった。光源氏の美しいことはいうまでもない。紫の君はもう雛(ひな)を出して遊びに夢中であった。三尺の据棚(すえだな)二つにいろいろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などをいくつも源氏が与えてあったのを、それらを座敷中に並べて遊んでいるのである。
追儺(なやら)いをするといって犬君(いぬき)がこれをこわしましたから、私よくしていますの」
と姫君はいって、一所懸命になって小さい家を繕(つくろ)おうとしている。
「ほんとうにそそかっしい人ですね。すぐなおさせてあげますよ。今日は縁起(えんぎ)を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
 いい残して出て行く源氏の春の新装を、女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて、まねの参内(さんだい)をさせたりしているのであった。
「もう今年からはすこしおとなにおなりあそばせよ。十歳(とお)より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますよ。あなた様はもう良人(おっと)がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお梳(す)きするのもおうるさがりになるようなことではね」
などと少納言がいった。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとしていったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人はみな醜(みにく)い顔をしている。私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。なんということなしにこうした幼稚さが御簾(みす)の外まで来る家司(けいし)や侍(さむらい)たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
 源氏は御所から左大臣家の方へ退出した。例のように、夫人からは高いところから多情男をみおろしているというようなよそよそしい態度をとられるのが苦しくて、源氏は、
「せめて、今年からでもあなたが暖かい心で私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」
といったが、夫人は、二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、本邸へ置くほどの人は源氏のもっとも愛する人で、やがては正夫人として公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。自尊心の傷つけられていることはもとよりである。しかも何も気づかないふうで、冗談をいいかけて行きなどする源氏に負けて、よぎなく返辞をするようすなどに魅力がなくはなかった。四歳(よつ)ほどの年上であることを、夫人自身でも気まずくはずかしく思っているが、美の整った女盛りの貴女であることは源氏も認めているのである。どこに欠点もない妻をもっていて、ただ自分の多情からこの人に恨みを負うような愚か者になっているのだと、こんなふうにも源氏は思った。同じ大臣でも、とくに大きな権力者である現代の左大臣が父で、内親王である夫人から生れた唯一(ゆいいつ)の娘であるから、思いあがった性質にできあがっていて、すこしでも敬意の足りないとり扱いを受けては、ゆるすことができない。帝の愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻の溝(みぞ)を作っているものらしい。左大臣も二条の院の新夫人の件などがあって、たのもしくない婿君の心を恨めしがりもしていたが、会えば恨みも何も忘れて源氏を愛した。今もあらゆる歓待をつくすのである。
 翌朝、源氏が出て行こうとするときに、大臣は装束をつけている源氏に、有名な宝物になっている石の帯を、自身でもって来て贈った。正装した源氏の形を見て、うしろの方を手で引いてなおしたりなど大臣はしていた。沓(くつ)も手でとらないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
「こんないいのは、宮中の詩会があるでしょうから、そのときに使いましょう」
と贈物の帯についていうと、
「それには、またもっといいのがございます。これはただちょっと珍しいだけのものです」
といって、大臣はしいてそれを使わせた。この婿君を斎(かしず)くことに大臣は生きがいを感じていた。たまさかにもせよ、婿としてこの人を出入りさせていれば幸福感はじゅうぶん大臣にあるであろうと見えた。
 源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院(いちのいん)、それから藤壺の三条の宮へ行った。
「今日はまたことにおきれいに見えますね、年がおいきになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
 女房たちがこうささやいているときに、宮はわずかな几帳(きちょう)のあいだから源氏の顔をほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。ご出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、帝もすでに皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、なんともなくて一月もたった。物怪(もののけ)がご出産をおくれさせているのであろうかとも世間で噂をするとき、宮のお心はひじょうに苦しかった。このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、こんな煩悶(はんもん)をされることが自然おからだにさわっておかげんも悪いのであった。それを聞いても源氏はいろいろと思い合すことがあって、目立たぬように産婦の宮のために、修法(ずほう)などあちこちの寺でさせていた。このあいだに、ご病気で宮が亡(な)くなっておしまいにならぬかという不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子がご誕生になったので、帝もご満足あそばし、三条の宮の人たちも愁眉(しゅうび)を開いた。なお生きようとする自分の心は未練ではずかしいが、弘徽殿(こきでん)あたりでいう詛(のろい)の言葉が伝えられているときに自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになったときから、つとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、ご衰弱もすこしずつ回復していった。
 帝は新皇子をひじょうにごらんになりたがっておいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら、源氏は伺候(しこう)者のすくないすきをうかがって行った。
「陛下が若宮にどんなにお会いになりたがっていらっしゃるかしれません。それで、私がまずお目にかかりましてごようすでも申しあげたらよろしいかと思います」
と源氏は申し込んだのであるが、
「まだお生れたての方というものは醜うございますから、お見せしたくございません」
という母宮のご挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生写(いきうつ)しであって、別のものとはけっして見えなかったからである。宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、なんでもないことも探しだして人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、けっきょく不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。源氏はまれに都合よく王命婦が呼び出されたときには、いろいろと言葉をつくして宮にお会いさせてくれとたのむのであるが、今はもうなんのかいもなかった。新皇子拝見を望むことに対しては、
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るではございませんか」
と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。口でいうべきことではないから、その方のことはまた言葉にしにくかった。
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
といって泣く源氏が、王命婦の目には気の毒でならない。
  「いかさまに昔結べる契(ちぎ)りにて
    この世にかかる中の隔てぞ
 わからない、わからない」
とも源氏はいうのである。命婦は宮のご煩悶をよく知っていて、それだけは告げるのが恋の仲介(なかだち)をした者の義務だと思った。
  「見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらん
    こや世の人の惑ふてふ闇(やみ)
 どちらも同じほどお気の毒だと思います」
と命婦はいった。とりつきどころもないように源氏が悲しんで帰って行くことも、度が重なれば邸(やしき)の者も不審を起しはせぬかと宮は心配しておいでになって、王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。目に立つことをはばかってなんともおいいにはならないが、源氏への同情者として、宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、命婦は侘(わび)しく思っていた。意外なことにもなるものであると嘆かれたであろうと思われる。
 四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。普通の乳児(ちのみご)よりはずっと大きく小児(こども)らしくなっておいでになって、このごろはもうからだを起きかえらせるようにもされるのであった。まぎらわしようもない若宮のお顔つきであったが、帝には思いもよらぬことでおありになって、すぐれた子同士は似たものであるらしいと思召した。帝は新皇子をこのうえなくごたいせつにあそばされた。源氏の君をひじょうに愛しておいでになりながら、東宮にお立てになることは世上の非難を恐れてご実行ができなかったのを、帝は常に終生の遺憾事に思召して、長じてますます王者らしい風貌のそなわっていくのをごらんになっては、心苦しさに堪えないように思召したのであるが、こんな尊貴な女御から同じ美貌の皇子が新しくお生れになったのであるから、これこそは瑕(きず)なき玉であるとご寵愛(ちょうあい)になる。女御の宮は、それをまた苦痛に思っておいでになった。源氏の中将が音楽の遊びなどに参会しているときなどに、帝は抱いておいでになって、
「私は子どもがたくさんあるが、おまえだけをこんなに小さいときから毎日見た。だから同じように思うのかよく似た気がする。小さいあいだはみなこんなものだろうか」
とおいいになって、ひじょうにかわいくお思いになるようすが拝された。源氏は顔の色も変る気がして、恐ろしくも、もったいなくも、うれしくも、身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。ものをいうようなかっこうにお口をお動かしになるのがひじょうにお美しかったから、自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は尊重すべきであるとも思った。宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。源氏は若宮を見て、また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて退出してしまった。
 源氏は二条の院の東の対に帰って、苦しい胸を休めてから、後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。前の庭の植込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、目立つ色をつくって咲いた撫子(なでしこ)を折って、それに添える手紙を長く王命婦へ書いた。
  よそへつつ見るに心も慰まで
    露けさまさる撫子の花
 花を子のように思って愛することは、しまいに不可能であることを知りました。
とも書かれてあった。だれも来ぬすきがあったか、命婦はそれを宮のお目にかけて、
「ほんの塵(ちり)ほどのこのお返事を書いてくださいませんか。この花(はな)びらにお書きになるほど、すこしばかり」
と申しあげた。宮もしみじみ悲しいときであった。
  袖濡(そでぬ)るる露のゆかりと思ふにも
    なほうとまれぬやまと撫子
とだけ、ほのかに、書きつぶしのもののように書かれてある紙を、喜びながら命婦は源氏へ送った。例のように返事のないことを予期して、なおも悲しみくずおれているときに、宮のご返歌が届けられたのである。胸騒ぎがして、このひじょうにうれしいときにも源氏の涙は落ちた。
 じっともの思いをしながら寝ていることは堪えがたい気がして、例の慰め場所西の対へ行ってみた。すこし乱れた髪をそのままにして、部屋着の袿姿(うちかけすがた)で笛をなつかしい音に吹きながら座敷をのぞくと、紫の女王はさっきの撫子が露に濡(ぬ)れたような可憐なふうで横になっていた。ひじょうに美しい。こぼれるほどの愛嬌(あいきょう)のある顔が、帰邸した気配がしてからすぐにも出て来なかった源氏を恨めしいと思うように、向こうに向けられているのである。座敷の端(はし)の方にすわって、
「こちらへいらっしゃい」
といっても素(そ)知らぬ顔をしている。「入りぬる磯(いそ)の草なれや」(みらく少なく恋ふらくの多き)と口ずさんで、袖(そで)を口もとにあてているようすにかわいい怜悧(りこう)さがみえるのである。
「つまらない歌を歌っているのですね。しじゅう見ていなければならないと思うのはよくないことですよ」
 源氏は琴を女房に出させて紫の君にひかせようとした。
「十三絃の琴は、中央の絃(いと)の調子を高くするのはどうもしっくりとしないものだから」
といって、柱(じ)を平調にさげて掻(か)き合せだけをして姫君に与えると、もうすねてもいず美しくひきだした。小さい人が左手を伸ばして絃をおさえる手つきを源氏はかわいく思って、自身は笛を吹きながら教えていた。頭がよくて、むつかしい調子などもほんの一度くらいで習いとった。何ごとにも貴女らしい素質の見えるのに源氏は満足していた。保曾呂倶世利(ほそろぐせり)というのは変な名の曲であるが、それをおもしろく笛で源氏が吹くのに、合せる琴の弾手(ひきて)は小さい人であったが音の間(ま)が違わずにひけて、じょうずになる手筋とみえるのである。灯をともさせてから絵などをいっしょに見ていたが、さっき源氏はここへ来る前に出かける用意を命じてあったから、供をする侍たちがうながすように御簾(みす)の外から、
「雨が降りそうでございます」
などというのを聞くと、紫の君はいつものように心細くなって滅入りこんでいった。絵も見さしてうつむいているのがかわいくて、こぼれかかっている美しい髪をなでてやりながら、
「私がよそに行っているとき、あなたは寂(さび)しいの」
というと女王はうなずいた。
「私だって一日あなたを見ないでいるともう苦しくなる。けれど、あなたは小さいから私は安心していてね。私が行かないといろいろな意地悪をいっておこる人がありますからね、今のうちはその方へ行きます。あなたがおとなになればけっしてもうよそへは行かない。人から恨まれたくないと思うのも、長く生きていて、あなたを幸福にしたいと思うからです」
などとこまごま話して聞かせると、さすがに恥じて返辞もしない。そのまま膝(ひざ)に寄りかかって寝入ってしまったのを見ると、源氏はかわいそうになって、
「もう今夜は出かけないことにする」
と侍たちにいうと、その人らはあちらへ立って行って、まもなく源氏の夕飯が西の対へ運ばれた。源氏は女王を起して、
「もう行かないことにしましたよ」
というと慰んで起きた。そうしていっしょに食事をしたが、姫君はまだはかないふうでろくろく食べなかった。
「ではお寝(やす)みなさいな」
 出ないということは嘘(うそ)でないかとあぶながってこんなことをいうのである。こんな可憐な人をおいて行くことは、どんなに恋しい人のところがあってもできないことであると源氏は思った。
 こんなふうに引きとめられることも多いのを、侍などの中には左大臣家へ伝える者もあってあちらでは、
「どんな身分の人でしょう。失礼な方ですわね。二条の院へどこのお嬢さんがお嫁(かたづ)きになったという話もないことだし、そんなふうにこちらへのお出かけを引きとめたり、またよくふざけたりしていらっしゃるというのでは、りっぱな身分の人とは思えないじゃありませんか。御所などで始まった関係の女房級の人を奥様らしく二条の院へお入れになって、それを非難さすまいとお思いになって、だれということを秘密にしていらっしゃるのですよ。幼稚な所作が多いのですって」
などと女房たちがいっていた。
 御所にまで二条の院の新婦の問題が聞えていった。
「気の毒じゃないか。左大臣が心配しているそうだ。小さいおまえを婿にしてくれて、十二分につくした今日までの好意がわからない年でもないのに、なぜその娘を冷淡に扱うのだ」
と陛下がおっしゃっても、源氏はまだ恐縮したふうを見せているだけで、なんともご返答をしなかった。帝は妻が気に入らないのであろうとかわいそうに思召した。
「格別おまえは放縦(ほうしょう)な男ではなし、女官や女御たちの女房を情人にしている噂(うわさ)などもないのに、どうしてそんな隠しごとをして舅(しゅうと)や妻に恨まれる結果をつくるのだろう」
と仰せられた。帝はもうよいご年配であったが、美女がお好きであった。采女(うねめ)や女蔵人(にょくろうど)なども容色のある者が宮廷に歓迎される時代であった。したがって、美人も宮廷には多かったが、そんな人たちは源氏さえその気になれば情人関係をなり立たせることが容易であったであろうが、源氏は見なれているせいか、女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無(かいむ)であったから、怪しがってわざわざその人たちが冗談をいいかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのをものたらず思う者さえあった。よほど年のいった典侍(ないしのすけ)で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であって、その点では人を顰蹙(ひんしゅく)させている女があった。源氏は、なぜこう年がいっても浮気がやめられないのであろうとふしぎな気がして、恋の冗談をいいかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。あさましく思いながらも、さすがに風変りな衝動を受けてつい源氏は関係をつくってしまった。噂されてもきまりの悪い不釣合いな老いた情人であったから源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。典侍は帝のお髪(ぐし)あげの役を勤めて、それが終ったので、帝はお召しかえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないので、典侍が常よりも美しい感じの受けとれるふうで、頭の形などに艶なところも見え、服装も派手にきれいなものを着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、うしろから裳(も)の裾(すそ)を引いてみた。はなやかな絵を描(か)いた紙の扇で顔を隠すようにしながら見かえった典侍の目は、瞼(まぶた)を張りきらせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍のを見ると、それは真赤な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横の方に若々しくない字であるがじょうずに「森の下草老いぬれば駒(こま)もすさめず刈(か)る人もなし」という歌が書かれてある。いやみな恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、
「そうじゃありませんよ、『大荒木(おおあらき)の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」
 こんなことをいう恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。女はそんなことを思っていない。
  君し来(こ)ば手馴(てな)れの駒に刈り飼(か)はん
    盛り過ぎたる下葉なりとも
 とても色気たっぷりな表情をしていう。
 「笹(ささ)分けば人や咎(とが)めんいつとなく
    駒馴(な)らすめる森の木(こ)隠れ
 あなたのところはさしさわりが多いからうっかり行けない」
 こういって、立って行こうとする源氏を、典侍は手でとめて、
「私はこんなにまで煩悶をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして、一生の恥をここでかくのです」
 ひじょうに悲しそうに泣く。
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
 袖を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)といいかける所作(しょさ)までも、お召しかえがすんだ帝が襖子(からかみ)からのぞいておしまいになった。不釣合いな恋人たちであるのを、おかしく思召してお笑いになりながら、帝は、
「まじめすぎる恋愛ぎらいだといって、おまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
と典侍へおいいになった。典侍はきまり悪さもすこし感じたが、恋しい人のためには濡衣(ぬれぎぬ)でさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。それ以後、御所の人たちが意外な恋としてこの関係を噂した。頭中将の耳にそれがはいって、源氏の隠しごとはたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起ってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏のあきたらぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。困った多情女である。きわめて秘密にしていたので、頭中将との関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらも、いやな気もちがおさえ切れずに長く会いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて、温明殿(うんめいでん)あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶(びわ)をじょうずにひいていた。清涼殿の音楽のみ遊びのとき、ほかはみな男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながらひく絃(いと)の音には源氏の心を打つものがあった。
瓜(うり)作りになりやしなまし」という歌を、美声ではなやかに歌っているのにはすこし反感が起った。白楽天の聞いたという鄂州(がくしゅう)の女の琵琶も、こうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。ひきやめて女はもの思いに堪えないふうであった。源氏は御簾(みす)ぎわに寄って催馬楽(さいばら)の東屋(あずまや)を歌っていると、「おし開いて来ませ」というところを同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。
  立ち濡(ぬ)るる人しもあらじ東屋(あずまや)に
    うたてもかかる雨そそぎかな
と歌って女は嘆息をしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。
  人妻はあなわづらはし東屋の
    まやのあまりも馴れじとぞ思う
といい捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱(ぶじょく)したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。源氏は女と朗らかに冗談などいい合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。頭中将は源氏がまじめらしくして、自身の恋愛問題を非難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜しく思って、素知らぬふうでいて、源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてその中の一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然、今夜の会合を来合せて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会にすこし威嚇(おど)して、源氏を困惑させて懲(こ)りたといわせたいと思った。それでしかるべく油断を与えておいた。ひややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に、源氏らがすこし寝入ったかと思われる気配を見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲(じちょう)的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は、物音にすぐ目をさまして人の近づいてくるのを知ったのである。典侍の古い情人で今も男の方が離れたがらないという噂のある修理大夫(しゅりたいう)であろうと思うと、あの老人(としより)にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、
「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。旦那(だんな)の来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして泊らせたのですね」
といって、源氏は直衣(のうし)だけを手でさげて屏風(びょうぶ)のうしろへはいった。中将はおかしいのをこらえて、源氏が隠れた屏風を前から横へたたみ寄せて騒ぐ。年をとっているが、美人型のきゃしゃなからだつきの典侍が、以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも、源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわってふるえていた。自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿をなおさないで、冠(かむり)をゆがめたまま逃げるうしろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのままおちつきを作ろうとした。中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知ってものをいわない。ただおこったふうをして太刀(たち)を引き抜くと、
「あなた、あなた」
 典侍は頭中将を拝(おが)んでいるのである。中将は笑いだしそうでならなかった。平生派手(はで)につくっている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七八で、この場合はみえも何も捨てて二十前後の公達の中にいて気をもんでいるようすは醜態(しゅうたい)そのものであった。わざわざ恐ろしがらせよう、自分でないように見せようとする不自然さが、かえって源氏に真相を教える結果になった。自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀(たち)をもつ肱(ひじ)をとらえてぐっとつねると、中将は見あらわされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣を着るから」
と源氏がいっても、中将は直衣を放してくれない。
「じゃ君にもぬがせるよ」
といって、中将の帯を引いて解いてから、直衣をぬがせようとすると、ぬぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。
  「包むめる名や洩(も)り出(い)でん引きかはし
    かくほころぶる中の衣に
 明るみへ出ては困るでしょう」
と中将がいうと、
  隠れなきものと知る知る夏衣
    きたるをうすき心とぞ見る
と源氏も負けてはいないのである。双方ともだらしない姿になっていってしまった。
 源氏は友人に威嚇(おど)されたことを残念に思いながら宿直所(とのいどころ)で寝ていた。驚かされた典侍は翌朝残っていた指貫(さしぬき)や帯などをもたせてよこした。
  「恨みても言ひがひぞなき立ち重ね
    引きて帰りし波のなごりに
 悲しんでおります。恋の楼閣(ろうかく)のくずれるはずのものがくずれてしまいました」
という手紙が添えてあった。面目なく思うのであろうと、源氏もなおも不快に昨夜(ゆうべ)を思い出したが、気をもみ抜いていた女のようすにあわれんでやってよいところもあったので返事を書いた。
  荒(あれ)だちし波に心は騒がねど
    よせけん磯(いそ)をいかが恨みぬ
とだけである。帯は中将のものであった。自分のよりはすこし色が濃いようであると、源氏が昨夜の直衣(のうし)に合せて見ているときに、直衣の袖がなくなっているのに気がついた。なんというはずかしいことだろう、女を漁(あさ)る人になればこんなことがしじゅうあるのであろうと源氏は反省した。頭中将の宿直室の方から、
 何よりもまずこれをお綴(と)じつけになる必要があるでしょう。
と書いて直衣の袖を包んでよこした。どうして取られたのであろうと源氏は口惜しかった。中将の帯が自分の手にはいっていなかったら、この争いは負けになるのであったとうれしかった。帯と同じ色の紙に包んで、
  中絶えばかごとや負ふと危(あや)ふさに
    縹(はなだ)の帯はとりてだに見ず
と書いて源氏はもたせてやった。女のところで解いた帯に他人の手が触れると、その恋は解消してしまうともいわれているのである。中将からまたおりかえして、
  君にかく引き取られぬる帯なれば
    かくて絶えぬる中とかこたん
 なんといっても責任がありますよ。
と書いてある。昼近くなって殿上(てんじょう)の詰所(つめしょ)へ二人とも行った。とりすました顔をしている源氏を見ると、中将もおかしくてならない。その日は自身も蔵人頭(くろうどのかみ)として公用の多い日であったから、しごくまじめな顔を作っていた。しかし、どうかした拍子(ひょうし)に目が合うと互いにほほえまれるのである。だれもいぬときに中将がそばへ寄って来ていった。
「隠しごとには懲(こ)りたでしょう」
 尻目(しりめ)で見ている。優越感があるようである。
「なあに、それよりもせっかく来ながらむだだった人が気の毒だ。まったく君は、やっかいな女だね」
 秘密にしようといい合ったが、それからのち、中将はどれだけあの晩の騒ぎをいいだして源氏を苦笑させたかしれない。それは恋しい女のために受ける罰(ばつ)でもないのである。女はつづいて源氏の心をひこうとしていろいろに技巧を用いるのを、源氏はうるさがっていた。中将は妹にもその話はせずに、自分だけが源氏を困らせる用に使う方が有利だと思っていた。よい外戚(がいせき)をおもちになった親王方も、帝の殊寵(しゅちょう)される源氏には一目(もく)おいておいでになるのであるが、この頭中将だけは、負けていないでもよいという自信をもっていた。ことごとに競争心を見せるのである。左大臣の息子の中で、この人だけが源氏の夫人と同腹の内親王の母君をもっていた。源氏の君はただ皇子であるという点が違っているだけで、自分も同じ大臣といっても最大の権力のある大臣を父として、皇女から生れてきたのである。たいして違わない尊貴さが自分にあると思うものらしい。人物も怜悧(りこう)でなんの学問にも通じたりっぱな公子であった。つまらぬことまでも二人は競争して人の話題になることも多いのである。
 この七月に皇后の冊立(さくりつ)があるはずであった。源氏は中将から参議にあがった。帝が近く譲位をあそばしたい思召しがあって、藤壺の宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが、将来ご後援をするのに適当な人がない。母方の御伯父(おじ)は皆親王で実際の政治に携(たずさ)わることのできないのも不文律(ぶんりつ)になっていたから、母宮をだけでも后の位にすえて置くことが若宮の強みになるであろうと思召して、藤壺の宮を中宮に擬(ぎ)しておいでになった。弘徽殿(こきでん)の女御がこれにたいらかでないことに道理はあった。
「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、そのときは当然皇太后(こうたいごう)になりうるあなたなのだから、気を寛(ひろ)くおもちなさい」
 帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内(じゅだい)して二十幾年になる女御をさしおいて、藤壺を后(きさき)にあそばすことは当を得たことであるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろにいう者があった。
 儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。后と一口に申しあげても、この方のご身分は后腹の内親王であった。全(まった)い宝玉のように輝くお后と見られたのである。それに、帝のご寵愛もたいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。道理のほかまでの好意をもった源氏は、み輿(こし)の中の恋しいお姿を想像して、いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと心に嘆かれた。気がへんになるほどであった。
  つきもせぬ心の闇(やみ)にくるるかな
    雲井に人を見るにつけても
 こう思われて悲しいのである。
 若宮のお顔はご生育あそばすにつれてますます源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者はいないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌を見うることはないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように似ておいでになると世人も思った。


 この巻も前二巻と同年の秋に始まって、源氏十九の秋までが書かれている。(訳注)