源氏物語

與謝野晶子訳



玉鬘(たまかずら)



火のくににおひいでたれば言ふことの皆恥づかしく頬(ほ)のそまるかな  晶子

 年月はどんなにたっても、源氏は死んだ夕顔のことをすこしも忘れずにいた。個性の違った恋人を幾人も得た人生の行路に、その人がいたならばと遺憾(いかん)に思われることが多かった。右近(うこん)はなんでもない平凡な女であるが、源氏は夕顔の形見と思って庇護(ひご)するところがあったから、今日では古い女房の一人になって重んぜられもしていた。須磨(すま)へ源氏の行くときに夫人の方へ女房をみな移してしまったから、いまでは紫夫人の侍女になっているのである。善良なおとなしい女房と夫人も認めて愛していたが、右近の心の中では、夕顔夫人が生きていたなら、明石(あかし)夫人が愛されているほどには源氏から思われておいでになるであろう、たいした恋でもなかった女性たちさえ、あまさず将来の保証をつけておいでになるような情け深い源氏であるから、紫夫人などの列にははいらないでも、六条院へのわたましの夫人の中にはおいでになるはずであるといつも悲しんでいた。西の京へ別居させてあった姫君がどうなったかも右近は知らずにいた。夕顔の死が告げてやりにくい心弱さと、今になって相手の自分であったことは知らせないようにと源氏からいわれたことでの遠慮とが、右近の方からたずね出すことをさせなかった。そのうちに、乳母(めのと)の良人(おっと)が九州の少弐(しょうに)に任ぜられたので、一家は九州へくだった。姫君の四つになる年のことである。乳母たちは母君のゆくえを知ろうといろいろの神仏に願(がん)を立て、夜昼泣いて恋しがっていたがなんのかいもなかった。しかたがない、姫君だけでも夫人の形見に育てていたい、卑(いや)しい自分らといっしょに遠国へおつれすることを悲しんでいると父君の方へほのめかしたいとも思ったが、よいつてはなかった。そのうえ母君の所在を自分らが知らずにいては、問われた場合に返辞のしようもない。よくなじんでおいでにならない姫君を、父君へ渡して立って行くのも、自分らの気がかり千万なことであろうし、話をお聞きになった以上は、いっしょにつれて行ってもよいと父君がゆるされるはずがないなどといいだす者もあって、美しくて、すでにもう高貴な相のそなわっている姫君を、普通の旅役人の船に載(の)せて立って行くとき、その人々はひじょうに悲しがった。幼い姫君も母君を忘れずに、
「お母様のところへ行くの」
と時々尋ねることが人々の心をよりせつなくした。涙の絶え間(ま)もないほど夕顔夫人を恋しがって娘たちの泣くのを、 
「船の旅は縁起(えんぎ)を祝って行かなければならないのだから」
とも親たちは小言をいった。美しい名所名所を見物するとき、
「若々しいお気もちの方で、お喜びになるでしょうから、こんな景色をお目にかけたい。けれども奥様がおいでになったら私たちは旅に出てないわけですね」
 こんなことをいって、京ばかりの思われるこの人たちの目には帰っていく波もうらやましかった。心細くなっているときに、船夫(かこ)たちの荒々しい声で「悲しいものだ、遠くへ来てしまった」という意味の唄(うた)をうたう声が聞えてきて、姉妹は向かい合って泣いた。
  船人もたれを恋ふるや大島の
    うら悲しくも声の聞ゆる
  来し方も行方(ゆくえ)も知らぬ仲に出でて
    あはれ何処(いずこ)に君を恋ふらん
 海の景色を見てはこんな歌も作っていた。金(かね)の岬(みさき)を過ぎても「千早(ちはや)振(ふ)る金の御崎(みさき)を過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに娘たちは恋しがった。少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮していた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあった。同じような女が横に立っているような夢で、その夢を見たあとではいつもその人が病気のようになることから、もう死んでおしまいになったのであろうと、悲しいが思うようになった。
 少弐は任期が満ちたときに出京しようと思ったが、出京して失職しているより、地方にこのままいる方が生活の楽な点があって、思いきって上京することもようしなかった。そのあいだに当人は重い病気になった。少弐は死ぬまぎわにも、もう十歳ぐらいになっていて、ひじょうに美しい姫君を見て、
「私までもお見捨てすることになれば、どんなにご苦労をなされることだろう、卑しい田舎(いなか)でお育ちになっていることももったいないことと思っておりましたが、そのうち京へお供して参って、ご肉親の方々へお知らせ申し、その先はあなた様の運命にまかせるといたしましても、京は広いところですから、よいこともきっとあって、安心がさせていただけると思いまして、その実行を早く早くとあせるように思っておりましたが、希望の実現どころか、私はもうここで死ぬことになりました」
と悲痛なことをいっていた。三人の男の子に、
「おまえたちはなによりせねばならぬことを、姫君を京へお供することと思え。私のための仏事などはするにおよばん」
と遺言をした。父君のだれであるかは自身の家の者にもいわずに、ただたいせつにするわけのある孫であるといってあって、だいじにかしずいているうちに、こんなふうでにわかに死んだのであったから、家族は心細がって京への出立を急ぐのであるが、この国には故人の少弐に反感をもっていた人が多かったから、そんなさいに報復を受けることが恐ろしくて、今しばらく今しばらくとはばかって暮しているあいだにも、年月がどんどんたってしまった。妙齢になった姫君の容貌は母の夕顔よりも美しかった。父親の方の筋によるのか、気高い美がこの人にはそなわっていた、性質も貴女らしくおおようであった。故人の少弐の家に美しい娘のいる噂(うわさ)を聞いて、好色な地方人などが幾人も結婚を申し込んだり、手紙を送ってきたりする。失敬なことであるとも、とんでもないことであるとも思って、だれ一人これに好意をもってやる者はなかった。
「容貌はまず無難でも、不具なところがからだにある孫ですから、結婚はさせずに尼にして自分の生きているあいだは手もとへ置く」
 乳母はこんなことを宣伝的にいっているのである。
「少弐の孫は片輪(かたわ)だそうだ、惜しいものだ、かわいそうに」
と人がいうのを聞くと、乳母はまたすまない気がして、
「どんなにしても京へおつれしてお父様の殿様にお知らせしよう、まだごくお小さいときにもひじょうにおかわゆがりになっていたのだから、今になってもけっしてそまつにはあそばすまい」
と乳母は興奮する。それの実現されるように神や仏に願を立てていた。娘たちも息子たちも土地の者と縁組をして土着せねばならぬように傾いていく。心の中では忘れないが京はいよいよ遠いところになっていった。おとなになった姫君は、自身の運命を悲しんで一年の三度の長精進(しょうじん)などもしていた。二十ぐらいになるとすべての美が完成されて、まばゆいほどの人になった。この少弐一家のいるところは肥前(ひぜん)の国なのである。その辺での豪族(ごうぞく)などは、少弐の孫の噂を聞いて、今でも絶えず結婚を申し込んでくる、うるさいほどに。
 大夫(たゆう)の監(げん)といって肥後に聞えた豪族があった。その国ではずいぶん勢いのある男で、強大な武力をもっているのである。そんな田舎武士の心にも、好色的な風流気があって、美人を多く妻妾として集めたい望みをもっているのである。少弐家の姫君のことを大夫の監は聞きつけて、
「どんな不具なところがあっても、自分はその点を我慢することにして妻にしたい」
と懇切に求婚をしてきた。少弐の人たちは恐ろしく思った。
「どんないい縁談にも彼女は耳をかさないで尼になろうとしています」
と中に立った人からことわらせた。それを聞くと監は不安がって、自身で肥前へ出て来た。少弐家の息子たちを監は旅宿へ呼んで姫君との縁組に助力を求めるのであった。
「成功すれば、両家は力になり合って、あなた方に武力の後援を惜しむものですか」
などといってくれる監に、二人の息子だけは好意をもちだした。
「私たちも初めは不似合いな求婚者だ、お気の毒だと姫君のことを思ってましたが、考えてみると、自分たちのうしろだてにするのにはもっとも都合のいい有力な男ですから、この人に敵対をされては肥前あたりで何をすることも不可能だということがわかってきました。貴族の姫君だといっても、父君がうっちゃっておおきになるし、世間からも認められていないではしかたがありません。こんなに熱心になっている監と結婚のできるのはかえって幸福だと思いますよ。この宿命のあるために九州などへ姫君がおいでになることにもなったのでしょう。逃げ隠れをなすっても何になるものですか。負けてなんかいませんからね、監は。常識で考えられる以上のむちゃなことでも監はしますよ」
と兄弟は家族をおどすのである。長兄の豊後介(ぶんごのすけ)だけは監の味方でなかった。
「もったいないことだ。少弐のご遺言があるのだから、自分はどうしてもこのさい姫君を京へお供しましょう」
と母や妹にいう。女たちもみな泣いて心配していた。母君がどうおなりになったかしれないようなことになって、せめて姫君を人並みな幸福な方にしないではと、自分らは念じているのに、田舎武士などに嫁(とつ)がせておしまいすることなどは堪えうることでないと思っていることも知らずに、自身の力を過信している監は、手紙を書いて送ってきたりするのである。字などもちょっときれいで、唐紙(とうし)に香のかおりの染(し)ませたのに書いてくる手紙も、文章もものになってはいなかった。また自身も親しくなった少弐家の次男とつれだってたずねて来た。年は三十くらいの男で、背が高くて、ものものしく肥(ふと)っている。きたなくは思われないが、いろいろ先入主になっていることがあって、見た感じがうとましい。荒々しいようすは見ただけでも恐ろしい気がした。血色がよくて快活ではあるが、嗄(かれ)声で語り散らす。求婚者は夜に訪問するものになっているが、これは風変りな春の夕方のことであった。秋ではないが怪しい気もち(何時(いつ)とても恋しからずはあらねども秋の夕は怪しかりけり)になったのかもしれない。機嫌(きげん)をそこねまいとして未亡人のおとど[#「おとど」に傍点]が出て応接した。
「お亡(か)くれになった少弐は人情味のたっぷりとあるりっぱなお役人でしたから、ぜひご懇親を願いたいと思いながら、こちらの尊敬心をお見せできなかったうちにお気の毒に死んでおしまいになったから、そのかわりにご遺族へ敬意を表しようと思って、奮発して、一所懸命になって、強(し)いて参りました。こちらにおいでになる姫君がご身分のいいことを私は聞いていて、尊敬申してますが、妻になっていただきたいのだ。我輩(わがはい)は一家のご主人と思って頭の上へ載せんばかりにしてですね、だいじにいたしますよ。あなたがこの縁組にあまりご賛成にならないというのは、私がこれまで幾人ものつまらない女と関係してきたことで、いやがられているのではありませんか。たとえそんな女どもが私についているとしても、そいつらに姫君といっしょの扱いなどをするものですかい。我輩は姫君を后(きさき)の位から落すつもりはない」
などと勝手なことを監はいいつづけた。
「いえ、不賛成などと、そんなことはありません。ひじょうにけっこうなお話だと私は思っているのですがね、なんという不運なのでしょう、あの人は並々に一人前の女になりきっていないところがありましてね、自分は結婚のできないからだだとあきらめていますのが、かわいそうでも、私どもの力ではどうにもならないのでございます」
とおとど[#「おとど」に傍点]はいった。
「けっして遠慮をなさるにはおよびませんよ。どんな盲目でも、いざりでも私は護(まも)っていってあげます。我輩が人並みのからだになおしてあげますよ。肥後一国の神仏は我輩の意志どおりに何ごとも加勢してくれますからね」
などと監は誇っていた。結婚の日どりも何日ごろというようなことを監がいうと、おとど[#「おとど」に傍点]の方では、今月は春の季の終りで、結婚によろしくないというような田舎めいた口実でことわる。縁側からおりて行くときになって、監は歌を作って見せたくなった。やや長く考えてからいいだす。
 「君にもし心たがはば松浦(まつら)なる
    かがみの神をかけて誓はん
 この和歌は我輩の偽らない感情がうまく表現できたと思います」
と監は笑顔を見せた。おとど[#「おとど」に傍点]はすべてのことが調子はずれな田舎武士に、返歌などをする気にはなれないのであったが、娘たちに歌を詠(よ)めというと、
「私など、お母さんだってそうでしょう。自失しているていよ」
 こういって聞かない。おとど[#「おとど」に傍点]は興味のない返歌をやっと出まかせふうにいった。
  年を経(へ)て祈る心のたがひなば
    かがみの神をつらしとや見ん
 先刻からの気味悪さにおとど[#「おとど」に傍点]はふるえ声になっていた。
「お待ちなさい。そのお返事の内容だが」
 監がのっそりと寄って来て、腑(ふ)に落ちぬという顔をするのを見て、おとど[#「おとど」に傍点]は真青(まっさお)になってしまった。娘たちはあんなにいっていたものの、こうなっては気強く笑って出て行った。
「それはね、お嬢様が世間並みの方でないことから、母がこのご縁の成立したときに、恨めしくお思いにならないかということを、もうぼけております母が神様のお名などを入れて、へんに詠んだだけの歌ですよ」
とこじつけて聞かせた。正解したところで求婚者へのお愛想歌なのであるが、
「ああもっとも、もっとも」
 とうなずいて、監は、
「技巧が達者なものですね。我輩は田舎者ではあるが、賤民(せんみん)じゃないのです。京の人でもたいしたものでないことを我輩は知っている。軽蔑(けいべつ)してはいけませんよ」
といったが、もう一首歌を作ろうとして、できなかったのかそのまま帰って行った。次郎がすっかりあちら方になっているのを家族は憎みながらも、豊後介(ぶんごのすけ)の助けを求めることが急であった。どうして姫君にお尽しすればよいか、相談相手はなし、親身の兄弟までが監に反対するといって、異端者扱いにして自分と絶交するしまつである、監の敵になってはこの地方で何一つ仕事はできないだろう、手出しをしてかえって自分から不幸を招きはしまいかと豊後介は煩悶(はんもん)をしたのであるが、姫君が口では何ごともいわずにこのことを悲しんでいるようすを見ると、気の毒で、そうなれば死のうと決心しているようすが道理に思われ、豊後介は苦しい策をして姫君の上京を助けることにした。妹たちもなじんだ良人を捨てて姫君について行くことになった。あてきといって、夕顔夫人の使っていた童女は兵部の君という女房になっていて、この女たちがつき添って、夜に家を出て船に乗った。大夫の監はいったん肥後へ帰って四月二十日ごろに吉日を選んで新婦を迎えに来ようとしているうちに、こうして肥前を脱出するのである。姉は子どももおおぜいになっていて同行ができないのである。行く人、残る人がなごりを惜しんで、また見る機会のないことを悲しむのであったが、行く人にとっては長い年月をここで送ったのではあっても、見捨てがたいほど心の残るものは何もこの土地になかった。ただ松浦(まつら)の宮の前の海岸の風光と姉娘と別れることだけがだれにもつらかった。顧(かえり)みもされた。
  浮島を漕(こ)ぎ離れても行く方や
    いづくとまりと知らずもあるかな
  行くさきも見えぬ波路に船出して
    風に任する身こそ浮きたれ
  初めのは兵部の作で、あとのは姫君の歌である。心細くて姫君は船でうつ伏しになっていた。こうして逃げ出したことが肥後に知れたなら、負けぎらいな監は追って来るであろうと思われるのが恐ろしくて、この船は早船といって、普通以上の速力が出るように仕かけてある船であったから、ちょうど追風も得てあぶないほどにも早く京を指して走った。響(ひびき)の灘(なだ)も無事に過ぎた。海上生活二三日ののちである。
「海賊の船なんだろうか、小さい船が飛ぶように走って来る」
などという者がある。惨酷な海賊よりも少弐の遺族は大夫の監をもっと恐れていて、その追手ではないかと胸を冷やした。
  憂きことに胸のみ騒ぐひびきには
    響(ひびき)の灘も名のみなりけり
と姫君は口ずさんでいた。川尻が近づいたと聞いたときに船中の人ははじめてほっとした。例の船子(かこ)は「唐泊(からどまり)より川尻(かわじり)押すほどは」とうたっていた。荒々しい彼らの声も身にしんだ。豊後介はしみじみする声で、愛する妻子も忘れてきたと歌われているとき、その歌のとおりに自分もみな捨ててきた、どうなるであろう、力になるような郎党はみな自分がつれて来てしまった。自分に対する憎悪の念から大夫の監は彼らに復讐をしないであろうか、その点を考えないで幼稚な考えで、脱出して来たと、こんなことが思われて、気の弱くなった豊後介は泣いた。「胡地妻子虚棄損(こちのさしをむなしくすつ)」とこう兄の歌っている声を聞いて兵部も悲しんだ。 自分のしていることは何ごとであろう、愛してくれる男ににわかに背(そむ)いて出て来たことをどう思っているであろうと、こんなことが思われたのである。京へはいっても自分らは帰って行く邸などはない。知人のところといっても、たよって行ってよいほどたのもしい家もない、ただ一人の姫君のために生活の根拠のできていた土地を離れて、空想の世界へ踏み入ろうとする者であると豊後介は考えさせられた。姫君をもどうするつもりでいるのであろうと自身であきれながらも、いまさらしかたがなくてそのまま一行は京へはいった。九条に昔知っていた人の残っていたのを探し出して、九州の人たちは足どまりにした。ここは京の中ではあるが、はかばかしい人の住んでいるところでもない町である。外で働く女や商人の多い町の中で、悲しい心を抱いて暮していたが、秋になるといっそうものごとが身にしんで思われて過去からも、未来からも暗い影ばかりが投げられる気がした。信頼されている豊後介も、京では水鳥が陸へあがったようなもので、職を求める手蔓(てづる)も知らないのであった。いまさら肥前へ帰るのもはずかしくてできないことであった。思慮の足りなかったことを豊後介は後悔するばかりであるが、つれて来た郎党も何かの口実を作って一人去り二人去り、九州へ逃げて帰る者ばかりであった。無力な失職者になっている長男に同情したようなことを母のおとど[#「おとど」に傍点]がいうと、
「私などのことはなんでもありません。姫君を護っていることができれば、自分の郎党などは一人もなくなってもいいのですよ。どんなに自分らが強力な豪族になったっても、姫君をああした野蛮(やばん)な連中にとられてしまえば、精神的に死んでしまったのも同然ですよ」
と豊後介は慰めるのであった。
「神仏のお力にすがればきっと望みのところへ導いてくださるでしょうから、お詣(まい)りをなさるがいいと思います。ここから近い八幡(やはた)の宮は九州の松浦、箱崎と同じ神様なのですから、あちらをお立ちになるとき、お立てになった願もありますから、神の庇護(ひご)で無事に帰京しましたというお礼参りをなさいませ」
と豊後介はいって、姫君に八幡詣りをさせた。八幡のことにくわしい人に聞いておいて、御師(おし)という者の中に、昔親の少弐が知っていた僧の残っているのを呼び寄せて、案内をさせたのである。
「このつぎには、仏様の中で長谷(はせ)の観音様は霊験のいちじるしいものがあると支那(しな)にまで聞えているそうですから、お参りになれば、遠国にいて長く苦労をなすった姫君をきっとおあわれみになってよいことがあるでしょう」
 また豊後介は姫君に長谷詣(もう)でを勧(すす)めて実行させた。船や車を用いずに徒歩で行くことにさせたのである。かつて経験しない長い路(みち)を歩くことは姫君に苦しかったが、人がすすめるとおりにして、つらさを忍んで夢中で歩いて行った。自分は前生(ぜんしょう)にどんな重い罪障があってこの苦しみに堪えねばならないのであろう。母君はもう死んでおいでになるにしても、自分を愛してくださるならその国へ自分をつれて行ってほしい。しかし、まだ生きておいでになるのならお顔の見られるようにしていただきたい、と姫君は観音を念じていた。姫君は母の顔を覚えていなかった。ただ漠然と親というものの面影を今日まで心に作ってきているだけであったが、こうした苦難に身を置いては、いっそう親というものの恋しさが切実に感ぜられるのであった。ようやく椿市(つばいち)というところへ、京を出て四日目の昼前に、生きている気もしないでついた。姫君は歩行らしい歩行もできずに、しかもいろいろな方法で足を運ばせて来たが、もう足の裏が腫(は)れて動かせない状態になって椿市で休息をしたのである。たのみにされている豊後介と、弓矢をもった郎党(ろうどう)が二人、そのほかは僕(しもべ)と子供侍が三四人、姫君の付添いの女房は全部で三人、これは髪の上から上着を着た壺装束(つぼしょうぞく)をしていた。それから下女が二人、これが一行で、派手(はで)な長谷(はせ)詣りの一行ではなかった。寺へ燈明料(とうみょうりょう)を納めたりすることをここでたのんだりしているうちに、日暮れ時になった。この家の主人である僧が向こうでいっている。
「私には今夜泊めようと思っているお客があったのだのに、だれを勝手に泊めてしまったのだ、もの知らずの女どもめ、相談なしに何をしたのだ」
 怒っているのである。九州の一行は残念な気もちでこれを聞いていたが、僧のいったとおりに参詣者の一団が町へはいって来た。これも徒歩で来たものらしい。主人らしいのは二人の女で召使いの男女の数は多かった。馬も四五匹引かせている。目立たぬようにしているが、きれいな顔をした侍(さむらい)などもついていた。主人の僧は先客があってもそのうえにどうかしてこの連中を泊めようとして、道に出て頭を掻(か)きながら、ひょこひょこと追従(ついしょう)をしていた。かわいそうな気はしたが、また宿を変えるのも見苦しいことであるし、めんどうでもあったから、ある人々は奥の方へ入り、残りの人々はまた見えない部屋の方へやったりなどして、姫君と女房たちとだけはもとの部屋の片隅(かたすみ)の方へ寄って、幕のようなもので座敷の仕切りをしてすませていた。あとの客も無作法な人たちではなかった。遠慮深く静かで、双方ともつつましい合客になっていた。このあとから来た女というのは、姫君を片時も忘れずに恋しがっている右近であった。年月がたつにしたがって、いつまでもつづけている女房勤めも気がさすように思われて、煩悶のある心の慰めに、この寺へたびたび詣っているのである。長いあいだの経験で徒歩の旅を大儀ともなんとも思っているのではなかったが、さすがに足はくたびれて横になっていた。こちらの豊後介は幕のところへ来て、食事なのであろう。自身で折敷(おしき)をもっていっていた。
「これを姫君にさしあげてください。膳(ぜん)や食器なども寄せ集めのもので、まったく失礼なのです」
 右近はこれを聞いていて、隣にいる人は自分らの階級の人ではないらしいと思った。幕のところへ寄ってのぞいて見たが、その男の顔に見覚えのある気がした。だれであるかはまだわからない。豊後介のごく若いときを知っている右近は、肥(こ)えて、そうして色も黒くなっている人を今見て、すぐには思い出せないのである。
「三条、お召しですよ」
と呼ばれて出てくる女を見ると、それも昔見た人であった。昔の夕顔夫人に、下の女房ではあったが、長く使われていて、あの五条の隠れ家(が)にまでも来ていた女であることがわかった右近は、夢のような気がした。主人である人の顔を見たく思っても、それはのぞいて見られるようなふうにはしていなかった。思案の末に右近は三条に聞いてみよう、兵藤太(ひょうとうだ)と昔いわれた人もこの男であろう、姫君がここにおいでになるのであろうかと思うと、気が急(せ)いで、そしてまた不安でならないのであった。幕のところから三条を呼ばせたが、熱心に食事をしている女はすぐに出て来ないのを右近は憎くさえ思ったが、それは勝手すぎた話である。やっと出て来た。
「どうもわかりません。九州に二十年も行っておりました卑しい私どもを知っておいでになるとおっしゃる京のお方様、お人違いではありませんか」
という。田舎ふうに真赤な掻練(かいねり)を下に着て、これもからだは太くなっていた。それを見ても自身の年が思われて、右近ははずかしかった。
「もっと近くへ寄って私を見てごらん。私の顔に見覚えがありますか」
といって、右近は顔をそちらへ向けた。三条は手を打っていった。
「まああなたでいらっしゃいましたね。うれしいって、うれしいって、こんなこと。まああなたはどちらからお参りになりました。奥様はいらっしゃいますか」
 三条は大声をあげて泣きだした。昔は若い三条であったことを思い出すと、このなりふりにかまわぬ女になっていることが右近の心をもの哀れにした。
「おとど[#「おとど」に傍点]さんはいらっしゃいますか。姫君はどうおなりになりました。あてき[#「あてき」に傍点]といった人は」
と、右近はたたみかけて聞いた。夫人のことは失望をさせるのがつらくてまだ口に出せないのである。
「みな、いらっしゃいます。姫君もおとなになっておいでになります。何よりおとど[#「おとど」に傍点]さんにこの話を」
といって、三条は向こうへ行った。九州から来た人たちの驚いたことはいうまでもない。
「夢のような気がします。どれほど恨んだかしれないお方にお目にかかることになりました」
 おとど[#「おとど」に傍点]はこういって幕のところへ来た。もうあちらからも、こちらからも隔(へだ)てにしてあった屏風(びょうぶ)などはとりはらってしまった。右近もおとど[#「おとど」に傍点]も最初はものがいえずに泣き合った。やっとおとど[#「おとど」に傍点]が口を開いて、
「奥様はどうおなりになりました。長い年月のあいだ、夢にでもいらっしゃるところを見たいと大願を立てましたがね、私たちは遠い田舎の人になっていたのですからね、なんのごようすも知ることができません、悲しんで、悲しんで、長生きすることが恨めしくてならなかったのですが、奥様が捨ててお行きになった姫君のおかわゆいお顔を拝見しては、このまま死んでは後世(ごせ)の障(さわ)りになると思いましてね、今でもお護(も)りしています」
 おとど[#「おとど」に傍点]の話しつづける心もちを思っては、昔あのときに気おくれがして知らせられなかったよりも、幾倍かのつらさを味わいながらも、絶体絶命のようになって、右近は、
「お話ししてもかいのないことでございますよ。奥様はもう早くお亡(か)くれになったのですよ」
といった。三条もまぜて三人はそれからむせかえって泣いていた。
 日が暮れたと騒ぎだし、お籠(こも)りをする人々の燈明があげられたと宿の者がいって、寺へ出かけることを早くと急がせにきた。そのために双方ともまだあきたらぬ気もちで別れねばならなかった。
「ごいっしょにお詣りをしましょうか」
ともいったが、双方とも供の者のふしぎに思うことを避けて、おとど[#「おとど」に傍点]の方ではまだ豊後介にも事実を話す間がないままで同時に宿坊を出た。右近は人知れず九州の一行の中の姫君の姿を目に探(さぐ)っていた。その中に美しいうしろ姿をした一人の、ひじょうに疲労したようすで、夏の初めの薄絹の単衣(ひとえ)のようなものを上から着て、隠された髪の透影(すきかげ)のみごとそうな人を右近は見つけた。お気の毒であるとも、悲しいことであるとも思ってながめたのである。すこし歩き慣れた人はみな、らくらくと上の御堂(みどう)についたが、九州の一行は姫君を介抱しながら坂をのぼるので、初夜の勤めの始まるころようやく御堂へついた。御堂の中はひじょうに混雑していた。右近がとらせてあったお籠(こも)り部屋は右側の仏前に近いところであった。九州の人のたのんでおいた僧は無勢力なのか西の方の間で、仏前に遠かった。
「やはりこちらへおいでなさませ」
といって、右近が召使いをよこしたので、男たちだけをその方に残して、おとど[#「おとど」に傍点]は右近との邂逅(かいこう)を簡単に豊後介へ語ってから、右近の部屋の方へ姫君を移した。
「私などつまらない女ですが、ただいまの太政(だじょう)大臣様にお仕えしておりますのでね、こんなところに出かけていましても不都合はだれもしないであろうと安心していられるのですよ。地方の人らしく見ますと、生意気にお寺の人などは軽蔑(けいべつ)した扱いをしますから、姫君にもったいなくて」
 右近はくわしい話もしたいのであるが、仏前の経声の大きいのにさまたげられて、やむをえず仏を拝(おが)んでだけいた。
 この方をお探し出しくださいませ、お会わせくださいませ、とお願いしておりましたことをおかなえくださいましたから、今度は源氏の大臣(おとど)がこの方を子にしてお世話をなさりたいと熱心に思召すことが実現されますようにおはからいくださいませ、そうしてこの方が幸福におなりになりますように。
と祈っているのであった。国々の参詣者が多かった。大和守(やまとのかみ)の妻も来た。その派手(はで)な参詣ぶりをうらやんで、三条は仏に祈っていた。
「大慈大悲の観音様、ほかのお願いはいっさいいたしません。姫君を大弐の奥様でなければ、この大和の長官の夫人にしていただきたいと思います。それが事実になりまして、私どもにも幸福が分けていただけましたときに厚くお礼をいたします」
 額に手をあてて念じているのである。右近はつまらぬことをいうと苦々(にがにが)しく思った。
「あなたはとんでもないほど田舎者になりましたね。中将様は昔だってどうだったでしょう、まして今では天下の政治をお預かりになる大臣ですよ。そうしたご盛んなお家の方で姫君だけを地方官の奥さんという二段も三段も低いものにしてそれでいいのですか」
というと、
「まあお待ちなさいよあなた。大臣(おとど)様だってなんだってだめですよ。大弐のお館(やかた)の奥様が清水(きよみず)の観世音寺へお参りになったときのごようすをごぞんじですか、帝(みかど)様の行幸があれ以上のものとは思えません。あなたは思いきったひどいことをおいいになりますね」
 こういって、三条はなお祈りの合掌(がっしょう)を解こうとはしなかった。九州の人たちは三日参籠(さんろう)することにしていた。右近はそれほど長くいようとは思っていなかったが、この機会(おり)に昔の話も人々としたく思って、寺の方へ三日間参籠するといわせるために僧を呼んだ。雑用をする僧は願文のことなどもよく心得ていてすばやくいろいろのことをすませていく。
「いつもの藤原瑠璃君(るりぎみ)という方のためにお経をあげてよくお祈りすると書いてください。その方にね、ちかごろお目にかかることができましたからね。その願果しもさせていただきます」
と右近の命じていることも九州の人々を感動させた。
「それはけっこうなことでしたね。よくこちらでお祈りしているせいでしょう」
などとその僧はいっていた。御堂の騒ぎは夜通しつづしていた。
 夜が明けたので右近は知った僧の坊へ姫君を伴って行った。静かに話したいと思うからであろう。質素なふうで来ているのをはずかしがっている姫君を右近は美しいと思った。
「私は思いがけない大きいお邸へお勤めすることになりまして、たくさんな女の方を見ましたが、殿様の奥様のご容貌にくらべてよいほどの方はないと長いあいだ思っていました。それにお小さいお姫様がまたお美しいことはもっともなことですが、そのお姫様はまたどんなにだいじがられていらっしゃるか、まったく幸福そのもののような方ですがね、こうしてご質素なふうをなすっていらっしゃる姫君を、私は拝見して、その奥様や二条院のお姫様に姫君が劣っていらっしゃるように思われませんのでうれしゅうございます。殿様はおっしゃいますのですよ、自分の父君の帝様のときから宮中の女御(にょご)やお后(きさき)、それから以下の女性は無数に見ているが、ただいまの帝様のお母様のお后のご美貌と自分の娘の顔とがもっともすぐれたもので、美人とはこれをいうのであると思われるって。私は拝見していて、そのお后様はぞんじませんけれど、お姫様はまだお小さくて将来は必ずすぐれた美人におなりになるでしょうが、奥様のご美貌に並ぶ人はないと思うのですよ。殿様も奥様のお美しさの価値をじゅうぶんごぞんじでいらっしゃるでしょうが、ご自分のお口から最上の美人の数へお入れにはなりにくいのですよ。こんなこともおいいになることがあるのですよ、あなたは私と夫婦になれたりしてもったいなく思いませんかなどと冗談をね。お二人のそろいもそろった美しさを拝見しているだけで命も延びる気がするのですよ。あんな方はあるものでもありません、私がそんなに思う六条院の奥様にどこ一つ姫君は劣っていらっしゃいません。ものは限りがあってすぐれた美貌と申しても円光をうしろに負っていらっしゃるわけではありませんけれど、これがほんとうに美しいお顔と申しあげていいのでございましょう」
 右近はほほえんで姫君をながめていた。少弐の未亡人も、うれしそうである。
「こんなすぐれたお生れつきの方を、もう一歩で暗い世界へお沈めしてしまうところでしたよ。惜しくて、もったいなくて、家も財産も捨てて頼りにしてよい息子にも娘にも別れて、今ではかえって知らぬ他国のような心細い気のする京へ帰って来たのですよ。あなた、どうぞいい知恵を出してくだすって、姫君のご運を開いてあげてくださいまし。貴族のお家に仕えておいでになる方は、便宜がたくさんあるでしょう。お父様の大臣が姫君をお認めくださいますように計らってくださいまし」
とおとど[#「おとど」に傍点]はいうのであった。姫君ははずかしく思ってうしろを向いていた。
「それがね、私はつまらない者ですけれど、殿様がおそばで使っていてくださいますからね、昔のいろいろな話を申しあげる中で、どうなさいましたろうと私が姫君のことをよく申すものですから、殿様が、ぜひ自分のところへ引きとりたく思う。居所を聞き込んだら知らせるがいいとおっしゃるのですよ」
「源氏の大臣様はどんなにおりっぱな方でも、今のお話のようなよい奥様や、そのほかの奥様も幾人(いくたり)かいらっしゃるのでしょう。それよりもほんとうのお父様の大臣へお知らせする方法を考えてください」
とおとど[#「おとど」に傍点]がいうのを聞いて、右近ははじめて夕顔夫人を愛して、死の床に泣いた人の源氏であったことを話した。
「どうしてもお亡(か)くれになった奥様を忘れられなく思召してね。奥様の形見だと思って姫君のお世話をしたい、自分は子どももすくなくてものたりないのだから、その人が探し出せたなら、自分の子を家へ迎えたように世間へは知らせておこうと、それはずっと以前からそうおっしゃるのですよ。私の幼稚な心弱さから、奥様のお亡くなりになりましたことをあなた方にお知らせすることができないでおりますうちに、ご主人が少弐におなりになったでしょう。それはお名を聞いて知ったのですよ。お暇請(いとまご)いに殿様のところへおいでになりましたのを、私はちらとお見かけしましたが、何をお尋ねすることもできないじまいになったのですよ。それでもまだ姫君をあの五条の夕顔の花の咲いた家へお置きになって赴任をなさるのだと思っていました。まあどうでしょう、もう一歩で九州の人になっておしまいになるところでございましたね」
などと人々は終日、昔の話をしたり、いっしょに念誦(ねんず)をおこなったりしていた。御堂へ参詣する人々を下に見おろすことのできる僧坊であった。前を流れていくのが初瀬川である。右近は、
 「二(ふた)もとの杉のたちどを尋ねずば
    布留(ふる)川のべに君を見ましや
 ここでうれしい逢瀬(おうせ)が得られたと申すものでございます」
と姫君にいった。
  初瀬川はやくのことは知らねども
    今日の逢瀬(おうせ)に身さへ流れぬ
といって泣いている姫君はきわめて感じのよい女性であった。これだけの美貌がそなわっていても、田舎ふうのやぼなようすが添っていたなら、どんなにそれを玉の瑕(きず)だと惜しまれることであろう、よくもこれほどりっぱな貴女にお育ちになったものであると、右近は少弐未亡人に感謝したい心になった。母の夕顔夫人はただ若々しくおおような柔らかい感じの豊かな女性というにすぎなかった、これは容姿に気高さのあるすぐれた姫君と見えるのであった。右近はこれによって九州というところがよいところであるように思われたが、また昔の朋輩(ほうばい)がみな、ぶかっこうな女になっているのであったから、ふしぎでならなかった。日が暮れると御堂に行き、翌日はまた坊に帰って念誦(ねんず)に時をすごした。秋風が渓(たに)の底から吹きあがってきて肌寒さの覚えられるところであったから、もの寂しい人たちの心はまして悲しかった。姫君は右近の話から、人並みの運ももたないように悲観していた自分も、父の家の繁栄と、低い身分の人を母として生れた子どもたちさえもみな、愛されて幸福になっていることがわかったうえは、もう救われるときに達したのであるかもしれないという気になった。帰るときは双方でよく宿所を尋ね合って、またわからなくなってはと互いにじゅうぶんの警戒をしながら別れた。右近の自宅も六条院に近いところであったから、九州の人の宿とも遠くないことを知って、その人たちは力づけられた気がした。
 右近は旅からすぐに六条院へ出仕した。姫君の話をする機会を早く得たいと思う心から急いだのである。門をはいるとすでにすべての空気に特別な豪華な家であることが感ぜられるのが六条院である。くる車、出ていく車が無数に目につく。自分などがこの家の一人の女房として自由に出入りすることもまばゆい気のすることであると右近に思われた。その晩は主人夫婦の前へは出ずに、部屋へ引き籠って右近はまたもの思いをした。翌日は自宅からあがってきた高級の女房が幾人もある中から、特に右近が夫人に呼び出されたのを、右近は誇らしく思った。源氏も夫人の居間にいた。
「どうして長く家へ行っていたのかね。すこしこれまでとは違っているではないか。独身者はこんなところにいるときと違って、自宅では若がえることもできるのだろう。おもしろいことがきっとあったろう」
などと例の困らせる気の冗談を源氏がいう。
「ちょうど七日お暇(いとま)をいただいていたのでございますが、おもしろいことなどはなかなかないのでございます。山へ参りましてね、お気の毒な方を発見いたしました」
「だれ」
と源氏は尋ねた。突然その話をするのも、これまで夫人にしていない昔の話から筋を引いていることを、源氏にだけいえば夫人があとで話をお聞きになって不快がられないかなどと右近は迷っていて、
「またくわしくお話を申しあげます」
といって、ほかの女房たちも来たのでそのままいいさしにした。
 灯などをともさせてくつろいでいる源氏夫婦は美しかった。女王は二十七八になっていた。盛りの美があるのである。このわずかな時日のうちにも美が新しく加わったかと右近の目に見えるのであった。姫君を美しいと思って、夫人に劣っていないと見たものの思いなしか、やはり一段上の美が夫人にはあるようで、幸福な人と不運な人とにはこれだけの相違があるものらしいなどと右近は思った。寝室にはいってから、脚(あし)をなでさせるために源氏は右近を呼んだ。
「若い人はいやな役だと迷惑がるからね。やはり昔なじみの者は気心が双方でわかっていて、どんなことでもしてもらえるよ」
と源氏がいっているのを聞いて、若い女房たちは笑っていた。
「そうですよ。どんなことでもさせていただいて私たちはけっこうなんですけれど、あのご冗談に困るだけね」
などといっているのであった。
「奥さんも昔なじみどうしがあまり仲よくしては機嫌を悪くなさらない。けっして寛大な方ではないからあぶないね」
などといって源氏は笑っていた。愛嬌(あいきょう)があって常よりもまた美しく思われた。このごろは公職が閑散な方に変ってしまって、自宅でものんきに女房などにも冗談をいいかけて相手をためすことなどを楽しむ源氏であったから、右近のような古女(ふるおんな)にも戯(たわむ)れて見せるのである。
「発見したって、どんな人かね。えらい修験者(しゅげんしゃ)などと懇意になってつれて来たのか」
と源氏はいった。
「ひどいことをおっしゃいます。あの薄命な夕顔の縁(ゆか)りの方を見つけましたのでございます」
「そう、それは哀れな話だね、これまでどこにいたの」
と源氏に尋ねられたが、ありのままにいいにくくて、
「寂しい郊外に住んでおいでになったのでございます。昔の女房も半分ほどはおつきしていましてございますから、以前の話もいたしまして悲しゅうございました」
と右近はいっていた。
「もうわかったよ。あの事情を知っていらっしゃらない方がいられるのだからね」
と源氏が隠すようにいうと、
「私がおじゃまなの、私は眠くてなんのお話だかわからないのに」
と女王は袖で耳をふさいだ。
「どんな容貌(きりょう)、昔の夕顔に劣っていない」
「あんなにはおなりにならないかとぞんじておりましたけれど、とてもおきれいにおなりになったようでございます」
「それはいいね、だれぐらい、この人とはどう」
「どういたしまして、そんなには」
と右近がいうと、
「得意なようではずかしい。何にせよ私に似ていれば安心だよ」
 わざと親らしく源氏はいうのであった。
 その話を聞いたときから源氏はおりおり右近一人だけを呼び出して姫君の問題について語り合った。
「私はあの人を六条院へ迎えることにするよ。これまでも何かの場合によく私は、あの人のゆくえを失ってしまったことを思って、暗い心になっていたのだからね。聞き出せばすぐにその運びにしなければならないのを、怠っていることでもすまない気がする。お父さんの大臣に認めてもらう必要などはないよ。おおぜいの子どもに大騒ぎをしていられるのだからね。たいした母から生れたのでもない人がその中へはいって行っては、けっきょくまた苦労をさせることになる。私の方は子どもの数がすくないのだから、思いがけぬところで発見した娘だとも世間へはいっておいて、貴公子たちが恋の対象にするほどにも私はかしずいてみせる」
 源氏の言葉を聞いていて、右近は姫君の運がこうして開かれていきそうであるとうれしかった。
「何もみな、思召ししだいでございます。内大臣へお知らせいたしますのも、あなた様のお手でなくてはできないことでございます。不幸なお亡くなり方をなさいました奥様のかわりにも、ともかくも助けておあげになりましたなら罪がお軽くなります」
と右近がいうと、
「私をまだそんなふうにも責めるのだね」
 源氏はほほえみながらも涙ぐんでいた。
「短いはかない縁だったと、私はいつもあの人のことを思っている。この家に集って来ている奥様たちもね、あのときにあの人を思ったほどの愛を感じた相手でもなかったのが、みなあの人のように短命でないことだけで、私の忘れっぽい男でないのを見届けているのが多いのに、あの人の形見にはただ右近だけを世話していることが残念な気のすることはしじゅうだったのに、そうして姫君を私の手もとへ引きとることができればうれしいだろう」
 こういって、源氏は姫君へ最初の手紙を書いた。あの末摘花(すえつむはな)に幻滅を感じたことの忘れられない源氏は、そんなふうに逆境に育った麗人の娘、大臣の実子も必ずしも期待に肯(そむ)かないとは思われない不安さから手紙の返事の書きようでまずその人を判断しようとしたのである。まじめにこまごまと書いた奥には、
 こんなに私があなたのことを心配していますことは、
  知らずとも尋(たず)ねて知らん三島江に
    生(お)ふる三稜(みくり)のすぢは絶えじな
とも書いた。右近はこの手紙を自身でもって行って、源氏の意向を説明した。姫君用の衣服、女房たちの服の材料などがたくさん贈られた。源氏は夫人とも相談したものらしく、衣服係のところにできていた物もみなとり寄せて、色の調子、重ねの取り合せの、特にすぐれた物を選んで贈ったのであったから、九州の田舎に長くいた人々の目に珍しくまばゆいものと映ったのは道理なことである。姫君自身は、こんなりっぱな品々でなくても、実父の手からすこしの贈物でも得られたのならうれしいであろうが、知らない人と交渉を始めようなどとは意外であるというふうに、それとなくいって、贈物を受けることを苦しく思うふうであったが、右近は母君と源氏とのあいだに結ばれた深い因縁(いんねん)を姫君にいって聞かせた。人々も横からとりなした。
「そうして源氏の大臣のご好意でごりっぱにさえおなりになりましたなら、内大臣様の方からもごく自然に認めていただくことができます。親子の縁と申すものは絶えたようでも絶えないものでございます。右近でさえお目にかかりたいと一心に祈っていました結果はどうでございます。神仏のお導きがあったではございませんか。ご双方ともおからださえおじょうぶでいらっしゃれば、きっとお会いになれるときが参ります」
とも慰めるのである。まず早く返事をといってみながかりで姫君を責めて書かせるのであった。自分はもうすっかり田舎者なのだからと姫君は書くのをはずかしく思うふうであった。用箋(ようせん)は薫物(たきもの)の香をしませた唐紙(とうし)である。
  数ならぬみくりや何のすぢなれば
    うきにしもかく根をとどめけん
とほのかに書いた。字ははかない、力のないようにも見えるものであったが、品がよくて感じの悪くないのを見て源氏は安心した。姫君を住わすところをどこにしようかと源氏は考えたが、南の一郭(いっかく)はあいた御殿もない。華奢(きゃしゃ)な生活のここが中心になっているところであるから、人出入りもあまりに多くて若い女性には気の毒である。中宮のお住居になっている一郭の中には、そうした人にふさわしい静かな御殿もあいているが、中宮の女房になったように世間へ聞かれてもよろしくないと源氏は思って、すこしじみなところではあるが東北の花散里の住居の中の西の対は図書室になっているのを、書物をほかへ移してそこへ住わせようという考えになった。近くにいる人も気だてのやさしい、おとなしい人であるから、花散里と親しくして暮すのもいいであろうと思ったのである。こうなってから夫人にも昔の夕顔の話を源氏はしたのであった。そうした秘密があったことを知って夫人は恨んだ。
「困るね。生きている人のことでは私の方から進んで聞いておいてもらわねばならないこともありますがね。たとえこんなときにでも昔のそうした思い出を話すのはあなたが特別な人だからですよ」
 こういっている源氏には故人を思う情に堪えられないようすが見えた。
「自分の経験ばかりではありませんがね、他人のことででもよく見ましたがね、女というものはそれほど愛し合っている仲でなくてもずいぶん嫉妬(しっと)をするもので、それにわずらわされている人が多いから、自分は恐ろしくて、好色な生活はすまいと念がけながらも、そのうち自然に放縦(ほうしょう)にもなって、幾人もの恋人をもちましたが、その中で可憐で可憐でならなく思われた女としてその人が思い出される。生きていたなら私は北の町にいる人と同じくらいには必ず愛しているでしょう。だれも同じ型の人はないものですが、その人は才女らしい、りっぱなというような点は欠けていたが、上品でかわいかった」
などと源氏がいうと、
「でも、明石(あかし)の波にくらべるほどにはどうだか」
と夫人はいった。今も北の御殿の人を、不当にすばらしく愛されている女であると夫人はねたんでいた。小さい姫君がかわゆいふうをして前に聞いているのを見ると、夫人のいう方が道理であるかもしれないと源氏は思った。それらのことはみな、九月のうちのことであった。
 姫君が六条院へ移って行くことは簡単にもいかなかった。まずきれいな若い女房と童女を探し始めた。九州にいたころには相当な家の出でありながら、田舎へ落ちて来たような女を見つけしだいに雇(やと)って、姫君の女房につけておいたのであるが、脱出のことがにわかにおこなわれたためにそれらの人はみな捨てて来て、三人のほかにはだれもいなかった。京は広いところであるから、市女(いちめ)というような者にたのんでおくと、じょうずに探してつれて来るのである。だれの姫君であるかというようなことはだれにも知らせてないのである。いったん右近の五条の家に姫君を移して、そこで女房を選(え)りととのえもし衣服の仕度もみなして、十月に六条院へはいった。源氏は新しい姫君のことを花散里に語った。
「私の愛していた人が、むやみに悲観して郊外のどこへか隠れてしまっていたのですが、子どももあったので、長いあいだ、私は探させていたのですがなんら得るところがなくて、一人前の女になるまでほかに置いたわけなのですが、その子のことが耳にはいったときにすぐにも迎えておかなければと思って、こちらへ来させることにしたのです。もう母親は死んでいるのです。中将をあなたの子どもにしてもらっているのですから、もう一人あったっていいでしょう。世話をしてやってください。簡単な生活をしてきたのですから、田舎ふうなことが多いでしょう。何かにつけて教えてやってください」
「ほんとうにそんな方がおありになったのですか。私はすこしも知りませんでした。お嬢さんがお一人で、すこし寂しすぎましたから、いいことですわね」
 花散里はおおようにいっている。
「母親だった人はとても善良な女でしたよ。あなたもやさしい人だから安心しておあずけすることができるのです」
などと源氏がいった。
「母親らしく世話を焼かせていただくこともこれまではあまりすくなくて退屈でしたから、いいことだと思います、ごいっしょに住むのは」
と花散里はいっていた。女房たちなどは源氏の姫君であることを知らずに、
「またどんな方をお迎えになるのでしょう。同じところへね。あまりに奥様を古物扱いにあそばすではありませんか」
といっていた。
 姫君は三台ほどの車に分乗させた女房たちといっしょに六条院へ移って来た。女房の服装なども右近がついていたから田舎びずに調(ととの)えられた。源氏のところからそうした人たちに入用な綾(あや)そのほかの絹布類は提供してあったのである。
 その晩すぐに源氏は姫君のところへ来た。九州へ行っていた人たちは昔光源氏という名は聞いたこともあったが、田舎住居をしたうちにそのまれな美貌の人がこの世に現存していることも忘れていて、今ほのかな灯の明りに几帳(きちょう)のほころびからすこし見える源氏の顔を見て恐ろしくさえなったのであった。源氏の通って来るところの戸口を右近があけると、
「この戸口をはいる特権を私は得ているのだね」
と笑いながらはいって、縁側の前の座敷へすわって、
「灯があまりに暗い。恋人の来る夜のようではないか。親の顔は見たいものだと聞いているがこの明りではどうだろう。あなたはそう思いませんか」
といって、源氏は几帳をすこし横の方へおしやった。姫君がはずかしがってからだを細くしてすわっているようすに感じよさがあって、源氏はうれしかった。
「もうすこし明るくしてはどう。あまり気どりすぎているように思われる」
と源氏がいうので、右近は燈心をすこしかきあげて近くへ寄せた。
「きまりを悪がりすぎますね」
と源氏はすこし笑った。ほんとうにと思っているような姫君の目つきであった。すこしも他人のようには扱わないで、源氏は親らしくいう。
「長いあいだあなたのいどころがわからないので心配ばかりさせられましたよ。こうして会うことができても、まだ夢のような気がしてね。それに昔のことが思い出されて堪えられないものが私の心にあるのです。だから話もよくできません」
 こういって目をぬぐう源氏であった。それは偽りでなくて、源氏は夕顔との死別の場を悲しく思い出しているのであった。年を数えてみて、
「親子であってこんなに長く会わなかったというようなことは例もないでしょう。恨めしい運命でしたね。もうあなたは少女のようにはずかしがってばかりいてよい年でもないのですから、今日までの話も私はしたいのに、なぜあなたは黙ってばかりいますか」
と源氏が恨みをいうのを聞くと、なんといってよいかわからぬほど姫君ははずかしいのであったが、
「足立たずで(かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足立たずして)遠い国へ流れつきましたころから、私は生きておりましたことか、死んでおりましたことかわからないのでございます」
とほのかにいうのが夕顔の声そのままの語音であった。源氏は微笑を見せながら、
「あなたに人生の苦しい道をばかり通らせてきたむくいは、私がしないでだれにしてもらえますか」
といって、源氏は聡明らしい姫君のもののいいぶりに満足しながら、右近にいろいろな注意を与えて源氏は帰った。
 感じのよい女性であったことをうれしく思って、源氏は夫人にもそのことをいった。
「野蛮な地方に長くいたのだから、気の毒なものにしあげられているだろうと私は軽蔑していたが、こちらがかえってはずかしくなるほどでしたよ。娘にこうした麗人をもっているということを世間へ知らせるようにして、よくおいでになる兵部卿(ひょうぶきょう)の宮などに懊悩(おうのう)をおさせするのだね。恋愛至上主義者も私の家ではきまじめな方面しか見せないのも妙齢の娘などがないからなのだ。たいそうにかしずいて見せよう、まだなっていない貴公子たちの懸想(けそう)ぶりをたんと拝見しよう」
と源氏がいうと、
「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」
と女王はいう。
「そうだった。あなたを今のような私の心だったらそうとり扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」
 夫人の顔を赤めたのがいかにも若々しく見えた。源氏は硯(すずり)を手もとへ引き寄せながら、むだ書きのように書いていた。
  恋ひわたる身はそれながら玉鬘(たまかずら)
    いかなる筋を尋ね来つらん
「かわいそうに」
とも独言(ひとりごと)しているのを見て、玉鬘(たまかずら)の母であった人は、前に源氏のいったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。
 源氏は子息の中将にも、こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよいといったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へ訪(たず)ねて行った。
「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことをご念頭におおきくださいまして、ご用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりましたときも、ぞんじないものでお世話をいたしませんでした」
と忠実なふうにいうのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思いくらべて見ると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとど[#「おとど」に傍点]などは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采(ふうさい)をはじめとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑してよい気になった。まして大夫の監は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何ごとも豊後介の至誠の賜物(たまもの)であることを玉鬘も認めていたし、右近もそういって豊後介をほめた。確とした規律のある生活をするのにはそれが必要であるといって、玉鬘づきの家従や執事が決められたときに豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎あがりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。仮にも出入する便宜などをもたなかった六条院に朝夕出仕して、多数の侍をしたがえて執務することのできるようになったことを、豊後介は思いがけぬ大幸福を得たと思っていた。これらもすべて源氏が思いやり深さから起ったことといわねばならない。
 年末になって、新年の室内装飾、春の衣裳を配るときにも、源氏は玉鬘を尊貴な夫人らとおなじにとり扱った。どんなに思いのほかによい趣味を知った人と見えても、またどんなまちがったものの取り合せをするかもしれぬという不安な気もちもあって、玉鬘の方へはすでに衣裳にできあがったものを贈ることにしたが、そのときに方々の織物師が力一杯に念を入れて作り出した厚織物の細長(ほそなが)や小袿(こうちぎ)の仕立てたのを源氏は手もとへとり寄せて見た。
「ひじょうにたくさんありますね。奥さんたちなどにもそれぞれよいものを選(よ)って贈ることにしよう」
と源氏が夫人にいったので、女王は裁縫係のところにできあがっているものも、手もとで作らせたものもまたみな出して源氏に見せた。紫の女王はこうした服飾類を製作させることに趣味と能力をもっている点ででも、源氏はこの夫人を尊重しているのである。あちらこちらの打物の上場(あげば)からしあがってきている、糊(のり)をした打絹も源氏は見くらべて、濃い紅、朱の色などとさまざまに分けて、それを衣櫃(ころもびつ)、衣服箱などに添えて入れさせていた。高級な女房たちがそばにいて、これをそれに、それをこれに、というように源氏の命じるままに贈物を作っているのであった。夫人もいっしょに見ていて、
「みなよくできているのですから、お召しになる方のお顔によく似合いそうなのを見立てておあげなさいまし。着物と人の顔が離れ離れなのはよくありませんから」
というと、源氏は笑って、
素(そ)知らぬ顔であなたは着る人の顔を想像しようとするのですね。それにしてもあなたはどれを着ますか」
といった。
「鏡に見える自分の顔にはどの着物を着ようという自信も出ません」
 さすがにはずかしそうにいう女王であった。紅梅色の浮模様のある紅紫の小袿、薄い臙脂紫(えんじむらさき)の服は夫人の着料として源氏に選ばれた。桜の色の細長に、明るい赤の掻練(かいねり)を添えて、ここの姫君の春着が選ばれた。薄(うす)お納戸(なんど)色に海草貝類が模様になった、織り方にたいした技巧の跡は見えながらも、見た目の感じの派手でない物に濃い紅の掻練を添えたのが花散里。真赤な衣服に山吹の花の色の細長は同じところの西の対の姫君の着料に決められた。見ぬようにしながら、夫人にはひそかにうなずかれるところがあるのである。内大臣がはなやかできれいな人と見えながらも艶なところのまじっていない顔に玉鬘の似ていることを、この黄色の上着の選ばれたことで想像したのであった。色に出して見せないのであるが、源氏はその方を見たときに、夫人の心の平静でないのを知った。
「もう着る人たちの容貌(きりょう)を考えて着物を選ぶことはやめることにしよう。もらった人に腹を立てさせるばかりだ。どんなによくできた着物でも物質には限りがあって、人の顔は醜(みにく)くても深さのあるものだからね」
 こんなこともいいながら、源氏は末摘花(すえつむはな)の着料に柳の色の織物に、上品な唐草(からくさ)の織られてあるのを選んで、それが艶な感じのするものであったから、人知れずほほえまれるのであった。梅の折枝の上に蝶(ちょう)と鳥の飛び違っている支那ふうな気のする白い袿に、濃い紅の明るい服を添えて明石夫人のが選ばれたのを見て、紫夫人は侮辱(ぶじょく)されたのに似たような気がすこしした。空蝉(うつせみ)の尼君には青鈍色(あおにびいろ)の織物のおもしろい上着を見つけだしたのへ、源氏の服に仕立てられてあった薄黄の服を添えて贈るのであった。同じ日に着るようにとどちらへも源氏はいい添えてやった。自身の選定したものがしっくりと似合っているかを源氏は見に行こうと思うのである。
 夫人たちからはそれぞれの個性の見える返事が書いてよこされ、使いへ出した纏頭(てんとう)もさまざまであったが、末摘花は東の院にいて、六条院の中のことでないから纏頭などは気のきいた考えを出さねばならぬのに、この人は形式的にするだけのことはせずにいられぬ性格であったから纏頭も出したが、山吹色の袿の袖口のあたりがもう黒ずんだ色に変色したのを、重ねもなく一枚きりなのである。末摘花女王の手紙は香のかおりのする檀紙(だんし)の、すこし年数(ねんすう)ものになって厚くふくれたのへ、
 どういたしましょう、いただきものはかえって私の心を暗くいたします
  着て見ればうらみられけりから衣
    かへしやりてん袖を濡(ぬ)らして
と書かれてあった。字はひじょうに昔ふうである。源氏はそれをながめながらおかしくてならぬような笑い顔をしているのを、何があったのかというふうに夫人は見ていた。源氏は使いへ末摘花の出した纏頭のまずいのを見て、機嫌の悪くなったのを知り、使いはそっと立って行った。そしてその侍は自身たちの仲間とこれを笑い話にした。よけいな出すぎたことをする点で困らせられる人であると源氏は思っていた。
「りっぱな歌人なのだね、この女王は。昔ふうの歌詠(よ)みはから衣、袂(たもと)濡るるという恨みの表現法から離れられないものだ。私などもその仲間だよ。凝(こ)り固まっていて、新しい言葉にも表現法にも影響されないところがえらいものだ。御前などの歌会のときに古い人らが友情をいう言葉に必ずまとい[#「まとい」に傍点]という三字が使われるのもいやなことだ。昔の恋愛をする者の詠む歌には相手を悪く見て仇人(あだびと)という言葉を三句目に置くことにして、それをさえ中心にすれば前後はなんとでもつくと思ったものらしい」
などと源氏は夫人に語った。
「いろんな歌の手引草とか、歌に使う名所の名とかの集めてあるのをしじゅう見ていて、その中にある言葉を抜き出して使う習慣のついている人は、それよりほかの作り方ができないものと見える。常陸(ひたち)の親王のお書きになった紙屋紙(かんやがみ)の草紙というのを、読めといって女王さんが貸してくれたがね、歌の髄脳(ずいのう)、歌の病、そんなことがあまりたくさん書いてあったから、もともとその方の才分のすくない私などは、それを見たからといって、歌のよくなる見込みはないから、むつかしくてお返ししましたよ。それに通じている人の歌としては、だれでもが作るような古いところがあるじゃないかね」
 滑稽(こっけい)でならないように源氏に笑われている末摘花の女王はかわいそうである。夫人はまじめに、
「なぜすぐお返しになりましたの、写させておいて姫君にも見せておあげになる方がよかったでしょうにね。私の書物の中にも古いその本はありましたけれど、虫が穴をあけて何も読めませんでした。そのご本に通じていて歌のへたな方よりも、全然知らない私などはもっとひどくまずいわけですよ」
といった。
「姫君の教育にそんなものは必要でない。いったい女というものは一つのことに熱中して専門家的になっていることが感じのいいものではない。といって、どの芸にも門外の人であることはよくないでしょうがね。ただ思想的にたしかな人にだけしておいて、ほかは平穏で瑕(きず)のない程度の女に私は教育したい」
 こんなことを源氏はいっていて、もう一度末摘花へ返事を書こうとするふうのないのを、夫人は、
「返しやりてんとおいいになったのですから、もう一度なんとかおっしゃらないでは失礼ですわ」
といって、書くことをすすめていた。人情味のある源氏であったから、すぐに返歌が書かれた、ひじょうに楽々と、
  かへさんと言ふにつけても片しきの
    夜の衣を思ひこそやれ
 ごもっともです。
という手紙であったらしい。