源氏物語

與謝野晶子訳



蓬生(よもぎう)



道もなき蓬(よもぎ)を分(わ)けて君ぞこし誰にもまさる身のここちする
晶子

 源氏が須磨(すま)明石(あかし)に漂泊(さすら)っていたころは、京の方にも悲しく思い暮す人の多数にあった中でも、しかとした立場をもっている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは、源氏が旅での生活のようすもかなりくわしく通信されていたし、便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳も季節にしたがって仕立てて送るような慰みもあった。真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発したさいのこともよそに想像するだけであった女性たち、無視して行かれた恋人たちがそれであった。常陸(ひたち)の宮の末摘花(すえつむはな)は、父君がおかくれになってから、だれも保護する人のない心細い境遇であったのを、思いがけず生じた源氏との関係から、それ以来物質的に補助されることになって、源氏の富からいえばものの数でもない情をかけていたにすぎないのであったが、受ける方の貧しい女王一家のためには、盥(たらい)へ星が映ってきたほどの望外の幸福になって、生活苦から救われて幾年かをきたのであるが、あの事変後の源氏は、いっさい世の中がいやになって、恋愛というほどのものでもなかった女性との関係は心から消しもし、消えもしたふうで、遠くへ立ってからは、はるばると手紙を送るようなこともしなかった。まだ源氏から恵まれた物があってしばらくは泣く泣くも前の生活をつづけることができたのであるが、次の年になり、また次の年になりするうちにまったく底無しの貧しい身の上になってしまった。古くからいた女房たちなどは、
「ほんとうに運の悪い方ですよ。思いがけなく神か仏の出現なすったような親切をお見せになる方ができて、人というものはどこに幸運があるかわからないなどと、私たちはありがたく思ったのですがね、人生というものは移り変りがあるものだといっても、またまたこんなたよりないご身分になっておしまいになるって、悲しゅうございますね。世の中は」
と嘆くのであった。昔は長い貧しい生活に慣れてしまって、だれにもあきらめができていたのであるが、中で一度源氏の保護が加わって、世間並みの暮しができたことによって、今の苦痛はいっそう激しいものに感ぜられた。よかった時代に昔から縁故のある女房ははじめてここにみないつくことにもなって、数が多くなっていたのも、またちりぢりにほかへ行ってしまった。そしてまた老衰して死ぬ女もあって、月日とともに上から下まで召使いの数がすくなくなってゆく。もとから荒廃していた邸(やしき)はいっそう狐(きつね)の巣のようになった。気味悪く大きくなった木立(こだち)になく梟(ふくろう)の声を毎日邸の人は聞いていた。人が多ければそうしたものは影も見せない木精(こだま)などという怪しいものも、しだいに形をあらわして来たりする不快なことが数しらずあるのである。まだすこしばかり残っている女房は、
「これではしようがございません。ちかごろは地方官などがよい邸を自慢に造りますが、こちらのお庭の木などに目をつけて、お売りになりませんかなどと近所の者からいわせて参りますが、そうあそばして、こんな恐ろしいところはお捨てになってほかへお移りなさいましよ。いつまでも残っております私たちだってたまりませんから」
などと女主人にすすめるのであったが、
「そんなことをしてはたいへんよ。世間体もあります。私が生きているあいだは邸を人手に渡すなどということはできるものではない。こんなにこわい気がするほど荒れていても、お父様の魂が残っていると思う点で、私はあちこちをながめても心が慰むのだからね」
 女王は泣きながらこういって、女房たちの進言を思いよらぬことにしていた。手道具なども昔の品の使い慣らしたりっぱなもののあるのを生物(なまもの)識(し)りの骨董(こっとう)好きの人が、だれに製作させたもの、某(ぼう)の傑作があると聞いて、譲り受けたいと、想像のできる貧乏さを軽蔑(けいべつ)して申し込んでくるのを、例のように女房たちは、
「しかたのないことでございますよ。困れば道具をお手放しになるのは」
といって、それを金にかえて目前の窮迫(きゅうはく)から救われようとするときがあると、末摘花は頑強にそれを拒(こば)む。
「私が見るようにと思って作らせておいてくだすったに違いないのだから、それをつまらない家の装飾品になどさせてよいわけはない。お父様のお心もちを無視することになるからね、お父様がおかわいそうだ」
 ただすこしの助力でもしようとする人をももたない女王であった。兄の禅師(ぜんじ)だけはまれに山から京へ出たときにたずねて来るが、その人も昔ふうな人で、同じ僧といっても生活する能力が全然ない、脱俗したとほめていえばいえるような男であったから、庭の雑草をはらわせればきれいになるものとも気がつかない。浅茅(あさじ)は庭の表も見えぬほど茂って、蓬(よもぎ)は軒の高さに達するほど、葎(むぐら)は西門、東門を閉じてしまったというと用心がよくなったようにも聞えるが、くずれた土塀(どべい)は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来た。八月に野分(のわき)の風の強かった年以来、廊(ろう)などは倒れたままになり、下屋(しもや)の板葺(いたぶき)の建物の方はわずかに骨が残っているだけ、下男などのそこにとどまっている者はない。厨(くりや)の煙が立たないでなお生きた人が住んでいるという悲しい邸である。盗人というようながむしゃらな連中も外見の貧弱さに愛想をつかせて、ここだけは素通りしてやって来なかったから、こんな野良(のら)藪(やぶ)のような邸の中で、寝殿だけは昔どおりの飾りつけがしてあった。しかしきれいに掃除(そうじ)をしようとするような心がけの人もない。ちりは積っても、あるべきものの数だけはそろった座敷に末摘花は暮していた。古い歌集を読んだり、小説を見たりすることで徒然(つれづれ)が慰められることにもなるし、物質的に不足の多い境遇も忍んでいけるのであるが、末摘花はそんな趣味ももっていない。それは必ずしもよいことではないが、ひまな女性のあいだで友情を盛った手紙を書きかわすことなどは、多感な年ごろではそれによって自然の見方も深くなっていき、木や草にも慰められることにもなるが、この女王は父宮がだいじにお扱いになったときと同じ心もちでいて、普通の人との交際はいっさい避けて友人をもっていないのである。親戚(しんせき)関係があっても親しもうとせず、好意を寄せようとしない態度は手紙を書かぬところにうかがわれもするのである。古くさい書物棚から、唐守(からもり)、藐姑射(はこや)の刀自(とじ)、赫耶姫(かぐやひめ)物語などを絵に描いたものを引き出して退屈しのぎにしていた。古歌などもよい作を選(え)って、端書(はしがき)も作者の名も書き抜いておいて見るのがおもしろいのであるが、この人は古紙屋紙(ふるかんやがみ)とか、檀紙(だんし)とかの湿気を含んで厚くなったものなどへ、だれもの知っている新味などはみじんもないようなものの書き抜いてしまってあるのを、もの思いの募(つの)ったときなどには出して広げていた。今の婦人がだれもするように経を読んだり仏勤めをしたりすることは生意気だと思うのかだれも見る人はないのであるが、数珠(じゅず)をもつようなことは絶対にない。こんなふうに末摘花は古典的であった。
 侍従(じじゅう)という乳母(めのと)の娘などは、主家を離れないで残っている女房の一人であったが、以前から半分ずつは勤めに出ていた斎院がお亡(か)くれになってからは、侍従もしかたなしに女王の母君の妹で、その人だけが身分違いの地方官の妻になっている人があって、娘をかしずいて、若いよい女房を幾人でもほしがる家へ、そこは死んだ母もおりふし行っていたところであるからと思って、時々そこへ行って勤めていた。末摘花は人に親しめない性格であったから、叔母ともあまり交際をしなかった。
「お姉様は私を軽蔑なすって、私のいることを不名誉にしていらっしゃったから、姫君が気の毒な一人ぼっちでも私は世話をしてあげないのだよ」
などという悪態口も侍従に聞かせながら、時々侍従に手紙をもたせてよこした。はじめから地方官級の家に生れた人は、貴族を真似て、思想的にも思いあがった人になっている者も多いのに、この夫人は貴族の出でありながら、下の階級へはいっていく運命を生れながらにもっていたものか、卑(いや)しい性格の叔母君であった。自身が、家門の顔よごしのように思われていた昔の腹いせに、常陸の宮の女王を自身の娘たちの女房にしてやりたい、昔ふうなところはあるが気立てのよい後見役ができるであろうとこんなことを思って、
 時々私の宅へもおいでくだすったらいかがですか。あなたのお琴の音もうかがいたがる娘たちもおります。
といってきた。これを実現させようと叔母は侍従にもうながすのであるが、末摘花は負けじ魂からではなく、ただはずかしくきまりが悪いために、叔母の招待に応じようとしないのを、叔母の方ではくやしく思っていた。そのうちに叔母の良人が九州の大弐(だいに)に任命された。娘たちをそれぞれ結婚させておいて、夫婦で任地へ立とうとするときにもまだ叔母は女王を伴って行きたがって、
「遠方へ行くことになりますと、あなたが心細い暮しをしておいでになるのを捨てて置くことが気になってなりません。ただいままでもおかまいもしませんでしたが、近いところにいるうちはいつでもお力になれる自信がありましたので」
と体裁よくことづてて誘いかけるのも、女王が聞き入れないから、
「まあ憎らしい。いばっていらっしゃる。自分だけはえらいつもりでも、あの藪の中の人を大将さんだって奥様らしくは扱ってくださらないだろう」
といってののしった。そのうちに源氏宥免(ゆうめん)の宣旨(せんじ)が下り、帰京の段になると、忠実に待っていた志操の堅さをだれよりも先に認められようとする男女に、それぞれ有形無形の代償を喜んで源氏のはらった時期にも、末摘花だけは思い出されることもなくて幾月かがそのうちたった。もうなんの望みもかけられない。長いあいだ不幸な境遇に落ちていた源氏のために、その勢力が宮廷に復活する日があるようにと念じ暮したものであるのに、賤(いや)しい階級の人でさえも源氏の再び得た輝かしい地位を喜んでいるときにも、ただよそのこととして聞いていねばならぬ自分でなければならなかったか、源氏が京から追われたときには自分一人の不幸のように悲しんだが、この世はこんな不公平なものであるのかと思って末摘花は恨めしく苦しくせつなく一人で泣いてばかりいた。
 大弐の夫人は、私のいったとおりじゃないか。どうしてあんな見るかげもない人を源氏の君が奥様の一人だとお思いになるものかね、仏様だって罪の軽い者ほどよく導いてくださるのだ。手もつけられないほどの貧乏女でいて、いばっていて、宮様や奥さんのいらっしゃったときと同じように思いあがっているのだからしまつが悪いなどと思って、いっそう軽蔑的に末摘花を見た。
「ぜひ決心をして九州へおいでなさい。世の中が悲しくなるときには、人は進んでも旅へ出るではありませんか。田舎(いなか)とはいやなところのようにお思いになるかしりませんが、私は受け合ってあなたを楽しくさせます」
 口前よく熱心に同行をうながすと、貧乏に飽(あ)いた女房などは、
「そうなればいいのに、なんの恃(たの)むところもない方が、どうしてまた意地をお張りになるのだろう」
といって、末摘花を非難した。侍従も大弐の甥(おい)のような男の愛人になっていて、京へ残ることもできない立場から、その意志でもなく女王のもとを去って九州行きをすることになっていた。
「京へお置きして参ることは気がかりでなりませんから、いらっしゃいませ」
と誘うのであるが、女王の心はなお忘れられた形になっている源氏をたのみにしていた。どんなに時がたっても自分の思い出される機会のないわけはない、あれほど堅い誓いを自分にしてくれた人の心は変っていないはずであるが、自分の運の悪いために捨てられたとも人からは見られるようなことになっているのであろう。風の便りででも、自分の哀れな生活が源氏の耳に入ればきっと救ってくれるに違いないと、これはずっと以前から女王の信じているところであって、邸も家も昔に倍した荒廃の仕方ではあるが、部屋の中の道具類をそこばくの金に変えていくようなことは、源氏の来たときに不都合であるからと忍耐をつづけているのである。気を滅(め)入らせて泣いているときの方が多い末摘花の顔は、一つの木の実だけをだいじに顔にあててもっている仙人(せんにん)ともいってよい奇怪なものに見えて、異性の興味をひく価値などはない。気の毒であるからくわしい描写はしないことにする。
 冬に入れば入るほどたよりなさはひどくなって、悲しくもの思いばかりして暮す女王だった。源氏の方では故院のための盛んな八講を催して、世間がそれにわき立っていた。僧などは平凡な者を呼ばずに学問と徳行のすぐれたのを選んで招じたその仏事に、女王の兄の禅師も出た帰りに妹君をたずねて来た。
「源大納言さんの八講(はっこう)に行ったのです。たいへんな準備でね、この世の浄土のように法要の場所はできていましたよ。音楽も舞楽もたいしたものでしたよ。あの方はきっと仏様の化身(けしん)だろう。五濁(ごじょく)の世にどうして生れておいでになったろう」
 こんな話をして禅師はすぐに帰った。普通の兄妹のようには話し合わない二人であるから、生活苦も末摘花は訴えることができないのである。それにしてもこの不幸なみじめな女を捨てておくというのは、情けない仏様であると末摘花は恨めしかった。こんな気のしたときから、自分はもう顧(かえり)みられる望みがないのだろうと、ようやく思うようになった。
 そんなころであるが大弐の夫人が突然たずねて来た。平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の衣裳などをもって、よい車に乗って来た得意な顔の夫人が、にわかに常陸の宮邸へ現われたのである。門をあけさせているときから目にはいってくるものは荒廃そのもののような寂しい庭であった。門の扉も安定がなくなっていて倒れたのを、供の者が立てなおしたりする騒ぎである。この草の中にも、どこかに三つだけの道はついているはずであるとみなが探した。そしてやっと建物の南向きの縁のところへ車をつけた。
 きまりの悪い迷惑なことと思いながら、女王は侍従を応接に出した。すすけた几帳(きちょう)をおし出しながら侍従は客と対したのである。容貌は以前にくらべてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔にかえたい気がする。
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらおたずねしました。私の好意をくんでくださらないで、ご自分がちょっとでも来てくださることをご承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくおゆるしをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮していらっしゃるのですね」
 こういったのであるから、つづいて泣いて見せねばならないのであるが、じつは大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどとご結婚をなさるようなご幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中ではわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔(けんかく)のあるお家でしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合にお力になれると思っていましたものの、遠いところへ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
と夫人はいうのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
「ご好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んでいくのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
とだけ末摘花はいう。
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどは、ほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の台(うてな)にもなるでしょうと期待されますがね。ちかごろはどうしたことでしょう、兵部卿の宮の姫君のほかはだれもきらいになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさんもっていらっしゃった方でしたが、それもみな清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、操(みさお)を立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむつかしいでしょうね」
 こんなよけいなことまでいわれてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しくて泣き入ってしまった。しかも九州行きを肯(うべな)うふうはみじんもない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
「では侍従だけでも」
と日の暮れていくのを見てせき立てた。侍従はなごりを惜しむ間(ま)もなくて、泣く泣く女王に、
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついて参ります。あちらがああおっしゃるのも道理ですし、あなた様が行きたく思召さないのもごむりだとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
という。この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引きとめようもなくてただ泣くばかりであった。形見に与えたい衣服もみな悪くなっていて、長いあいだのこの人の好意にむくいるものがなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めて鬘(かつら)にした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香(くんこう)一壺(ひとつぼ)をそれにつけて侍従へ贈った。
  「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら
    思ひの外にかけ離れぬる
 死んだ乳母(まま)が遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたのかわりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
といって、女王はひじょうに泣いた。侍従も涙でものがいえないほどになっていた。
乳母(まま)が申しあげましたことはむろんでございますが、そのほかにもごいっしょに長いあいだ苦労をしてまいりましたのに、思いがけない縁にひかれて、しかも遠方へまで行ってしまいますとは」
といって、また、
  「玉かづら絶えてもやまじ行く道の
    たむけの神もかけて誓はん
 命のございますあいだはあなた様に誠意をお見せします」
などともいう。
「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」
と大弐夫人に小言をいわれて、侍従は夢中で車に乗ってしまった。そしてうしろばかりが顧(かえり)みられた。困りながらも長いあいだ離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇(やと)い手のないような老いた女房までが、
「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢(がまん)ができませんよ」
 こんなことをいって、ほかへ勤める手蔓(てづる)を探し始めて、ここを出る決心をしたらしいことをいい合うのを聞くことも、末摘花の身にはつらいことであった。十一月になると雪や霙(みぞれ)の日が多くなって、ほかのところでは消えている間(ま)があっても、ここでは丈(たけ)の高い枯れた雑草の陰などに深く積ったものは量(かさ)が高くなるばかりで、越(こし)の白山をそこに置いた気がする庭を、今はもうだれ一人出入りする下男もなかった。こんな中に徒然(つれづれ)な日を送るよりしかたのない末摘花の女王であった。泣き合い笑い合うこともあった侍従がいなくなってからは、夜の塵(ちり)のかかった帳台の中でただ一人寂しい思いをして寝た。
 源氏は長く焦(こ)がれつづけた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちのところなどへは足が向かない時期でもあったから、常陸の宮の女王はまだ生きているだろうかというほどのことは時々心にのぼらないことはなかったが、探し出してやりたいと思うことも、急ぐことと思われないでいるうちにその年も暮れた。四月ごろに花散里を訪(たず)ねてみたくなって夫人の了解を得てから源氏は二条院を出た。幾日かつづいた雨の残り雨らしいものが降ってやんだあとで月が出てきた。青春時代の忍び歩きの思い出される艶(えん)な夕月夜であった。車の中の源氏は昔をうつらうつらと幻(まぼろし)に見ていると、形もないほどに荒れた大木が森のような邸の前に来た。高い松に藤がかかって月の光に花のなびくのが見え、風といっしょにその香がなつかしく送られてくる。橘(たちばな)とはまた違った感じのする花の香に心がひかれて、車からすこし顔を出すようにしてながめると、長く枝を垂れた柳も、土塀のない自由さに乱れ合っていた。見たことのある木立であると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏はもの哀れな気もちになって車をとめさせた。例の惟光(これみつ)はこんな微行にはずれたことのない男で、ついて来ていた。
「ここは常陸の宮だったね」
「さようでございます」
「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私はたずねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば会ってみよう。はいって行ってたずねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことをいわないと恥をかくよ」
と源氏はいった。
 末摘花の君はもの悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をしたときの夢に父宮を見て、さめてからもなごりの思いにとらわれて、悲しみながら雨のもってぬれた廂(ひさし)の室の端の方をふかせたり部屋の中をかたづけさせたりなどして、平生にも似ず歌を思ってみたのである。
  亡き人を恋ふる袂(たもと)のほどなきに
    荒れたる軒の雫(しずく)さへ添ふ
 こんなふうに、寂しさを書いていたときが、源氏の車のとめられたときであった。
 惟光は邸の中へ入ってあちらこちらと歩いてみて、人のいる物音の聞えるところがあるかと探したのであるが、そんなものはない。自分の想像どおりにだれもいない、自分は往(い)き帰りにこの邸は見るが、人の住んでいるところとは思われなかったのだからと思って、惟光が足をかえそうとするときに、月が明るくさし出したので、もう一度見ると、格子(こうし)を二間ほどあげて、そこの御簾(みす)は人ありげに動いていた。これが目に入ったせつなは恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしく咳(せき)を先に立てて答える女があった。
「いらっしゃったのはどなたですか」
 惟光は自分の名を告げてから、
「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」
といった。
「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」
という声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。家の中の人は惟光がなんであったかを忘れていた。狩衣(かりぎぬ)姿の男がそっとはいって来て、柔らかな調子でものをいうのであったから、あるいは狐か何かではないかと思ったが、惟光が近づいて行って、
「たしかなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人の方では変心もなにもしておいでにならないごようすです。今晩も門をお通りになって、たずねてみたく思召すふうで車をとめておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう。ありのままのお話を私にご遠慮なくしてください」
というと、女たちは笑いだした。
「変っていらっしゃればこんなお邸にそのまま住んでおいでになるはずもありません。ご推察なさいましてあなたからよろしくお返辞を申しあげてください。私どものような老人でさえ経験したことのないような苦しみをなめて、今日までお待ちになったのでございますよ」
 女たちは惟光にもっともっと話したいというふうであったが、惟光は迷惑に思って、
「いやわかりました。ともかくそう申しあげます」
といい残して出て来た。
「なぜ長くかかったの、どうだったかね、昔の路(みち)も見いだせない蓬原(よもぎがはら)になっているね」
 源氏に問われて惟光は、はじめからの報告をするのであった。
「そんなふうにして、やっと人間を発見したのでございます。侍従の叔母で少将とか申しました老人が昔の声で話しました」
 惟光はなお目に見た邸内のようすをくわしくいう。源氏はひじょうに哀れに思った。この廃邸じみた家に、どんな気もちで住んでいることであろう、それを自分は今まで捨てていたと思うと、源氏は自分ながらも冷酷であったと省(かえり)みられるのであった。
「どうしようかね、こんなふうに出かけて来ることもちかごろは容易でないのだから、この機会でなくてはたずねられないだろう。すべてのことを総合して考えてみても、昔のままに独身でいる想像のつく人だ」
と源氏はいいながらも、この邸へはいって行くことにはなお躊躇(ちゅうちょ)がされた。この実感からよい歌を詠(よ)んでまず贈りたい気のする場合であるが、機敏に返歌のできないことも昔のままであったなら、待たされる使いがどんなに迷惑をするかしれないと思ってそれはやめることにした。惟光も源氏がすぐにはいって行くことは不可能だと思った。
「とても中をお歩きになれないほどの露でございます。蓬をすこしはらわせてからおいでになりましたら」
 この惟光の言葉を聞いて、源氏は、
  尋ねてもわれこそ訪はめ道もなく
    深き蓬のもとの心を
と口ずさんだが、やはり車からすぐにおりてしまった。惟光は草の露を馬の鞭(むち)ではらいながら案内した。木の枝から散る雫(しずく)も秋の時雨(しぐれ)のように荒く降るので、傘(かさ)を源氏にさしかけさせた。惟光が、
「木の下露は雨に勝(まさ)れり(みさぶらひ御笠(みかさ)と申せ宮城野(みやぎの)の)でございます」
という。源氏の指貫(さしぬき)の裾(すそ)はひどくぬれた。昔でさえあるかないかであった中門などは影もなくなっている。家の中へ入るのもむき出しな気のすることであったが、だれも人は見ていなかった。
 女王は望みをかけてきたことの事実になったことはうれしかったが、りっぱな姿の源氏に見られる自分をはずかしく思った。大弐の夫人の贈った衣服はそれまで、いやな気がしてよく見ようともしなかったのを、女房らが香を入れる唐櫃(からびつ)にしまっておいたからよい香のついたのに、その人々からしかたなしに着かえさせられて、すすけた几帳を引き寄せてすわっていた。源氏は座についてからいった。
「長くお会いしないでも、私の心だけは変らずにあなたを思っていたのですが、なんともあなたがいってくださらないものだから、恨めしくて、今までためすつもりで冷淡をよそおっていたのですよ。しかし、三輪(みわ)の杉ではないが、この前の木立を目に見ると素通りができなくてね、私から負けて出ることにしましたよ」
几帳の垂絹(たれぎぬ)をすこし手であけてみると、女王は例のようにただはずかしそうにすわっていて、すぐに返辞はようしない。こんな住居にまでたずねて来た源氏の志の身のしむことによってやっと力づいてなにかをすこしいった。
「こんな草原の中で、ほかの望みも起さずに待っていてくださったのだから私は幸福を感じる。またあなただって、あなたのちかごろの心もちもよく聞かないままで、自分の愛から推(お)して、愛をもっていてくださると信じてたずねて来た私をなんと思いますか。今日まであなたに苦労をさせておいたことも、私の心からのことでなくて、そのときは世の中の事情が悪かったのだと思ってゆるしてくださるでしょう。今後の私が誠実の欠けたようなことをすれば、そのときは私がじゅうぶんに責任を負いますよ」
などと、それほどに思わぬことも、女を感動さすべく源氏はいった。泊っていくこともこの家のようすと自身とが調和のとれないことを思って、もっともらしく口実を作って源氏は帰ろうとした。自身の植えた松ではないが、昔にくらべて高くなった木を見ても、年月の長いへだたりが源氏に思われた。そして源氏の自身の今日の身の上と逆境にいたころとが思いくらべられもした。
  「藤波の打過ぎがたく見えつるは
    まつこそ宿のしるしなりけれ
 数えてみれば、ずいぶん長い月日になることでしょうね。もの哀れになりますよ。またゆるりと悲しい旅人だった時代の話も聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったという辛苦のあとも、私でなくては聞かせる人がないでしょう。と、まちがえかもしれぬが私は信じているのですよ」
などと源氏がいうと、
  年をへて待つしるしなき我が宿は
    花のたよりに過ぎぬばかりか
と低い声で女王はいった。身じろぎに知れる姿も、袖に含んだ匂いも、昔よりは感じよくなった気がすると源氏は思った。落ちようとする月の光が西の妻戸の開いた口からさして来て、その向こうにあるはずの廊もなくなっていたし、廂の板もすっかりとれた家であるから、明るく室内が見渡された。昔のままに飾りつけの揃っていることは、忍草(しのぶぐさ)の生(お)い茂った外見よりも風流に見えるのであった。昔の小説に親の作った堂を毀(こぼ)った話もあるが、これは親のしたままを長く保っていく人として、心のひかれるところがあると源氏は思った。この人の羞恥(しゅうち)心の多いところもさすがに貴女であるとうなずかれて、この人を一生風変りな愛人と思おうとした考えも、いろいろなことにまぎれてしまっていたころ、この人はどんなに恨めしく思ったであろうと哀れに思われた。ここを出てから源氏のたずねて行った花散里も、美しいはでな女というのではなかったから、末摘花の醜(みにく)さも比較して考えられることがなくてすんだのであろうと思われる。
 加茂(かも)祭、斎院の御禊(みそぎ)などのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送ってくるものの多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図(さしず)をして、宮邸に足らぬものを何かと多く加えさせた。親しい家司(けいし)に命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭の蓬を刈(か)らせ、応急に土塀のかわりの板塀をつくらせなどした。源氏が妻と認めての待遇をしだしたと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身でたずねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
 そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子どもを選んで慣らしておおきなさい。
ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送ってくる源氏に感謝して、それらの人々は源氏の二条院の方を向いて拝(おが)んでいた。一時的の恋にも平凡な女を相手にしなかった源氏で、ある特色のそなわった女性には興味をもって熱心に愛する人として源氏をだれも知っているのであるが、何一つすぐれたところのない末摘花をなぜ妻の一人としてこんなとり扱いをするのであろう。これも前生(ぜんしょう)の因縁(いんねん)ごとであるに違いない。もう暗い前途があるばかりのように見切りをつけて、女王の家を去った人々、それは上から下まで幾人もある旧召使いが、われもわれもと再勤を願ってきた。善良さはまれに見るほどの女性である末摘花のもとに使われて、気楽に暮した女房らが、ただの地方官の家などに雇われて、気まずいことの多いのにあきれて帰って来る者もある。見え透(す)いたような追従(ついしょう)もみないってくる。昔よりいっそう強い勢力を得ている源氏は、思いやりも深くなった今の心から、助け起そうとしている女王の家は、人影もにぎやかに見えてきて、茂りほうだいですごいものに見えた木や草も整理させて、流れに水の通るようになり、木立や草の姿も優美に清い感じのするものになっていった。職をほしがっている下(しも)家司級の人は、源氏が一人の夫人の家として世話を焼くようすを見て、仕えたいと申しこんで来て、宮家に執事(しつじ)もできた。
 末摘花は二年ほどこの家にいて、のちに東の院へ源氏に迎えられ、夫婦として同室に暮すようなことはめったになかったのであるが、近いところであったから、ほかの用で来たときに話していくようなことくらいはよくして、軽蔑した扱いはすこしもしなかったのである。大弐の夫人が帰京したときに、どんな驚き方をしたか、侍従が女王の幸福を喜びながらも、時が待ちきれずに姫君を捨てて行った自身のあやまちをどんなに悔いたかというようなことも、もうすこし述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから、またほかの機会に思い出して書くことにする。